10.27.2015

離れられない。

牧歌的だった日曜日の風景が遠く懐かしく感じられるくらいに火曜日の今日は憂鬱である。仕事に、疲れ切ってしまった、とにかく、私は、ひととの協働ということには不向きだ。私には、孤独が必要なのである。私は、たまにふもとに降りてきて、数日ぶりに言葉を発するとか、そういう生活に憧れる。人を見るのに疲れてしまった。人の相手をするのが嫌だ。人に会うたび、私は何かを吸われていくような気がする。ひとと言葉を交わすたびに、視線を交わすたびに、私は疲労を蓄積させて、何かを失っていく。しまいには、へばってしまう。人々も、仕事場も、遠くなる。身体も精神も、ずっしりと重くなり、普通のひとびとと接するためには、必死で這い上がって、元気な振りをしなければならない。私は孤独を渇望する。私にはそれが必要だ。しかし、私は離れられない。離れられない――なぜか。仕事場から、消えてしまう人間なんて、到底許されないからだ。そのようなことをすれば、私は社会的に抹殺される。されなくても、刑罰を受ける。離れられないということ、私は自由に行動しているように見えて、上から容赦なく押しつぶされているということ。もっとも、私だけでなく、だれもかれも、その強力な力によって押しつぶされている。働いている人間だけでなく、ニートも押しつぶされている。しかし、どうすればよいのか。私も、あなた方も、みな押しつぶされているのです(自覚はないかもしれませんが)、と訴えたところで、私はいよいよ狂人扱いされるだけである。医学の権威化。標準的であること、多数派であること、逸脱なく、摩擦なく溶け込むこと、正規分布のs信頼区間内にいること。医学は我々を支配した。そういうわけなので、本当のことを言う人間は、みんな病人になってしまった。……と言ったのがフーコーだ。私にはオリジナルの思想などない。最近、ニーチェもアホらしく思えてきた。哲学学者はもっとアホらしい。原文で哲学書を読んだ、それが何だというんだろうか。ヘーゲルを読んだ、カントを読んだ――おめでとう。私はいまだにシニフィアンとシニフィエの違いもわからない。私はなんとなくニーチェが好きだしフーコーは頭がいいと思っている。それで好意と信頼をもって読書をしている。私の考えていることは高尚ではない。くだらないことだ。私は今日の仕事中、猫のことを考えていた。私には、猫は「生きたい」という本能を体現しているように思えた。私はその力強さに心打たれた。読書以外で何かに感動することは、それが久しぶりだった。猫の媚びた動き、おびえた動き、体温、毛並み、すべてが生きることを意志していた。それで、人間はなぜ死にたいと思うのだろうと、実際に死にたいような感情に襲われていた私は考えていた。私とあの猫の違いはなにか。人間も動物であるから、死にたいと思う必要はないのであるが、実際には死を意志するし、そして死んでいる。そういうわけで、「死にたい」という感情はどこからくるのか、ということをぼんやり考えていた。私にとって哲学とはそのレベルのものである。私は、なんら抽象的思考を得意としないし、記憶力はほとんど老人に近しい。論語や老子を読んでいたら「人の嫌がることを進んでやれ」とあって嫌になった。ひとの嫌がることは私はしたくない。私には東洋思想は合わない。西洋思想も合わないのだが。結局、私はしょせん子どもでしかない。成熟した大人にはなれない。一人前にはなれない。この社会には、居場所がないという気がする。なにもかも、失望させられる。

苦痛もある段階に達すると、世界がぽろりと落ちてしまう。だが、そのあとでは、安らぎがやってくる。それからまた、激痛がおこるとしても、次にはまた、安らぎがやってくる。もしこのことを知っていれば、この段階がかえって次にくる安らぎへの期待となる。その結果、世界との接触もたち切られずにすむ。(「重力と恩寵」ヴェイユ)

2 件のコメント:

  1. とにかく自分が生きやすいように工夫していくしかないよ。離れられないと思うから離れられないのであって、離れられないことはない。

    >結局、私はしょせん子どもでしかない。成熟した大人にはなれない。一人前にはなれない。

    だからこそあなたは魅力的であると思うよ。フローレン

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  2.  黒崎さんはおそらく優秀で繊細すぎるのではないでしょうか?そして自分に対しての要求同様に周囲への要求も厳しく、それが人間に対する疲労や不快感につながっているのではないでしょうか。
     人間はそれほど強くないので、普通は自分の未熟さや矛盾(騒音に悩まされる神経質さを持ちながら、都内に行ってみたいと言うなど)を分析できないし、できたとしてもそれで自分を責めたりはできません。それをどちらも出来ているのは、一重に黒崎さんの優秀さから来るものでしょう。
     ただ、猫のように勝手気ままに振る舞うしなやかさや鈍感さも一つの才能と言えるので、私は犬より猫派です。

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