10.31.2015

雑記

やけくそなことばかりを書いているが――

私の生活は充実し、私はよく笑うようになった。精力に満ちた声も出すようになっている。私は健常の世界に帰ってきているのである。私は自分の二重性だとか、神経症的な精神の破綻からもここのところ無縁である。

いわば「折り合いがついた」ということで、私は特段、自分のことを語る必要もなく過ごしている。

私から一定量の苦痛が取り除かれたのであり、そのためいくらか朗らかに生活している。もちろん、私には友人のひとりもなく、ましては恋人なんていない。約束された将来もない――「夢も希望もない」状態ではあるけれども。それでも私は健常なのであり、これからも健常であるだろうという気分が、私を喜ばせる。

私は、いったい、暗いところだけ見つめていた人間だったろうか。私は、世界の明るさに背を向け、あの暗くじめじめとした一極点を、睨み続け、そして耽溺しながら周り続けていただけではないのか。

つまるところ、私の神経は過敏だったけども、少し年をとって、いろんな感覚が鈍り、そして連日の飲酒によって、脳みその機能が衰えてきたので、私はいくらか過剰な神経の昂りから解放されたということができるだろう。

明晰さとか、賢明さには代償がある。だれよりも苦しまなければならないという代償だ。人間が楽になりたいと思うことは自然ではないだろうか?

私が発する言葉が、何の意味も持たないと確信していた数年前が懐かしいけども、今は少しアクセス数が増えてきたので、こういう駄文でも需要があるのだと感じる。最近はまったく有意味なことを書けていないけど、読む人が減れば、それはそれでいいという風に思う。

最近の課題⇒Linguistic turn

この哲学的転回がおもしろくって、興味をそそる。ヴィトゲンシュタイン、フンボルト、クワイン。明日は日曜だし、読書をしよう。

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