10.04.2015

自然意志

自分が特段優れているという風に思えない。自分が何らかの技能を身に着けているように思えない。自分に適した資格や職業などあるように思えない。自分が何らかの「強い意志」を持っているように思えない。自分に正しい道などあるように思えない。

相変わらず一個の人間であり、それ以上のこともそれ未満であることもないことに少し驚きを覚える。相変わらず私は一個の人間だった。高みに昇り、冷たい空気のなか孤独を愉しんだこともあれば、低みに落下し、その安逸の重力にもがき苦しんだこともある。しかしそれはあくまで「気分」だ。現実ではない。

私が一個の人間であるという事実に少し肯定的な感性を持つことができる昨今である。つまり私は別にノーベル賞だの文学賞だの資産だの博士号だの美人な嫁だの、そういったものに対する要求がもはやほとんどないということ。

私は神やイデアに近づくことを辞めて、人間を信仰するようになった。人間への信仰とは、生を肯定的に捉えること、したがって死をも肯定的に捉えることである。私は理想を捨てた。私は眼前にある現実を見つめることにした。

やはり中庸であることが、人間を健康に導くものであるらしい。適度に食べ、適度に稼ぎ、適度に学問し、適度に運動する――。というのも、我々は金銭に対する欲はあるし、学問する欲もあるからである。また、労働する要求さえある。われわれはそれを「意志」するものではない。われわれは、それを意志しているように誤認しているというわけだ。

内発的な要求に素直になるということ、自分を歪めてしまわないということ。よく理性=ロゴスこそ人間を歪めるということ。自然であることと、主体的であることは相容れない。自然であるとき、人は宇宙を認識することができるが、主体的であるとき、ひとはありのままの事実を見ることができなくなる。簡単に欺かれる。

外部の敵もまた多いものだ。我々を惑わし、合目的的に導くような権力の存在。ヨハネ福音書にはこうある。「ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくないところへ連れて行くだろう。」

人間を歪める悪というものがどうしてもこの世にはあるらしいが、それに対して我々はどのように敵を見定め、受容するべきか。いわば、飲み込み、さらに消化することができるか。それについて私は今学問している。

私の自然意志のうち、どこまでが私で、どこまでが「外部の悪」なのか?あるいは、人間は悪から切り離せないものかもしれないが。このあたりは、もう少し勉強してみよう。

3 件のコメント:

  1. 人間とはこれまでの地球上で最も未熟な生物だと思う。その一つは個体差、あまりにもありすぎる。自分の行動を自由意志で決めているのか、だだの環境因子で反応しているだけなのか誰も分からないし検証のしようもないし大多数は考えもしない。私も神経症でこれまでさんざん苦しんできたが今回が最悪である。今世を終わらせようと思う。私の感覚も100人に1人くらいし分からないと思うし、まわりの人間なんかうるさいし汚いし自分勝手(まあ自分もだが)。似たような感覚の人間を知れて良かった。この世はあまりに理不尽で支配的で空虚で無秩序で無意味で楽しめるものである。ただそれだけだと思う。明日以降もここを見ることがあれば反応をみたいものである。

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    1. 人間は生物としては壊れた存在かもしれません。でも、私たちは生物としての次元のみに生きていないはずです。客観的な事実、つまり科学的な思考方法にとって世界とはあなたの指摘するように理不尽で支配的で空虚であり無秩序、無意味なものです。そこに意味を見出し秩序を与えるのはあなた自身なのです。あなたはあなたの事実を受け入れ、そのとき世界は目の前で姿を変える。あなたはあなただからこそ理解できること、為せることを遂行する。
      哲学書を読んでみてください。ヤスパースの「哲学」をおすすめします。哲学者には大別して二種類いて、科学的思考(数学や論理学、つまり科学的思考法)を基にするもの、論理を越えてゆく思考(決して非論理的ではない)をする哲学者がいます。
      デカルト、ヴィトゲンシュタインなどは典型的な前者で、キルケゴール、ニーチェ、ヤスパースは後者です。個人的には後者を優れているように感じます。(ちなみに私は専門的に哲学を学ぶ者です)
      私はかつてあなたと同じように苦しみ、死を求めました。そして、哲学を学び始めました。確かなことは、あなたの感性は間違っていないということ。どんな時代においてもあなたのような人間が世界を根底から動かしてきたのだ、ということです。

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    2. 哲学とりあえず読んでみます。結局、生きる苦しみを続けることにしました。医者という職業に就いてから9年、良い時も悪い時もあり今年の4月から田舎から都会へ職場がかわり、仕事のストレスとプレッシャーで神経症が悪化し生きる事の辛さのみを感じていました。自分の思考や感性を共感されれるとは思わなかった。これまで少なからず人の役にはたってきたという自負があり、自分にしか理解できないこと為せないことがあると思うからしばらくは受け入れていこうと思う。この世は楽しめるものとも思うから。

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