10.13.2015

days

最近はどうもダメだ。どういう変化のせいでこうなったのかは知らないが、とくに書く気がしないし、書く必要もないと思っている。

この三連休は、本を一冊も読まなかった。ジジェクを少し読んだが、やめた。二次大戦の歴史書を読んでいる。歴史書は、簡単に読めるからいい。

かつての自分は異常だった、今の私は少し正常だ。私はある意味「大人になった」のであり、それは「分別をわきまえる」ようになったということでもある。

神経症者が哲学を学ぶとしてもそれは必要からであり、彼が治療されればもう哲学しようという気はなくなるという。

神経症は少し軽減された。

神経症の原因を考えてみると、それは世界に対する恐怖だった。世界は私を常に何らかの形で排斥しようとするもの、という皮膚感覚があった。私はこの世界において、不安と緊張をかかえながら生きねばならないと思っていた。

しかし環境は変わった。私は田舎の牧歌的な空気のなかで、孤独に過ごした。これが治療には良かったらしい。とにかく、人間が少ないということが、私には良かったように思う。世界との距離感が広まったということ。結局世界とは他者なのだから。私を知る人間はわずかだし、私が知る人間も、職場の数十人だけである。

また、ある程度の財を蓄えるようになったこと。学生時代のような、劣悪な環境、経済状況で日々を過ごす必要がなくなったということ(学生時代にもう少し金があったのなら!私は3年も同じコートを着なくてよかったのに。今新しいコートを買うだけの金があっても、大学のあの相互承認の中に私はもういないのだ)。

田舎には競争がない。知の追及がない。富や権力への欲求もまた、ないように思う。犯罪もたかが知れている。ある意味、ひとびとは痴愚だけれども、彼らの姿を見るに、そこそこ幸せなのだと思う。

私はこれまで、強迫的に知を追及してきた。本やネットの情報。哲学、宗教、思想、科学。何かが得られると思ったけども、何も得られなかったのかもしれない。ひとより多くの知を身につけ、ひとよりも真理に近づくことを目的としていたが、こういった知というものは、まったく価値がない。

一度東京に遊びに行きたいという気がする。あの雰囲気をもう一度確かめてみたい。

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