11.01.2015

about money

やはり絶対の時間が足りない。明日仕事があるのであれば今日は酒を飲まなければならない。そうしないと、やりきれないからだ。酒を飲む時間は、早い方がいい。早く寝なければ、仕事に支障が出るからだ。

金が貯まってきたので、少し余裕が出てきて、カメラとか、冬用の布団を買ったりしている。これまで3000円の寝袋で我慢してきたが、夜中に寒くて何度も起きるので、嫌になった。カメラはコンデジだが、どうせ向こう何年も使うだろうから、今買っておこうと思った。

あとは、ブーツを新調した。バイクに乗るのに、スニーカーでは足首が冷たいし、ホームセンターのセールで買った1200円のブーツは、汚れやオイルがついていて、一秒でも履けば靴下からずっとその臭いが漂うほど、ひどいものだ。だから、楽天で、中古のブーツを、6000円くらいのものを買った。それは、チェコの国営メーカーのもので、物はしっかりしているのだから、ちゃんとメンテすれば、1年くらいは履けるはずだ。

私は消費が苦手だ。

ふつうの人が、自然に、本能的に、消費という行動を楽しんでいる姿が、私には理解できない。私はなぜこんなにも不自然であるのだろう。ひとびとは自然だ。私だけが、何かその行為に没頭できない。

だいいち、金は、恐ろしい代償を支払って、何とか手にするものだ。金を得るとは、人に使われることだ。もっとも、現代は、金が金を産むようにできているけど、ふつうの人にはまずそんな元本はないのだから、最初は生活のために、次は子どものために、次には老後のためといった具合に、金はあっという間になくなってしまうから、ふつうの人はふつうのまま、働いて、死ぬ、というだけのことだ。

私は、金を貯金して、当惑している。飢えた人にパンを与えて、当惑することがあるだろうか。私は金がなかった。長く貧乏な生活をしていた。だから、金を遣うことがわからない。

昔、若い私は、年収2000万円を志したことがある。つまり、年収2000万円とは、人口比で0.2%であり、私も0.2%以内に入るくらい有能だから、それは不可能ではないと睨んだのである。0.2%に入る根拠とは、就活をしていたときに受けた何とかとかいう適性試験の模試で、それで私は上位0.2%くらいだったのである。しかし現実には、0.2%の私は、就活に失敗し、地方で細々と暮らしている。

金がないという理由で、金をくれるという小企業に入ったが、私は正しかったかわからない。私は貧困に歪められたという気がする。私の学友たちは、みな私よりも金持ち家庭の出身であった。私の実家はといえば、田舎の中流といったところだ。田舎だから、中流というだけで偉いように感じるが、都市部の金持ち連中とは比較にならない。そうして、そういう金持ち家庭の皆様は、都市部で楽しく賑やかな暮らしをしており、私は田舎の環境のなかで、ひとり、酒を飲んでいる。

金を得れば幸福になれるだろうと思っていた。実際、いくらか幸福である。金が貯まるごとに、なんだか余裕はできる気がする。10万円くらいのものを買っても、ほとんど懐は痛まない。すごい感覚である――学生時代は、10万円は一か月の生活費以上だから。

こうして、日常のことを書いていくことが、何か意味を持つのかわからない。私は、数年前からだいぶ変わったように思う。文章で記録に残すと、そういうことが明瞭に浮き出る。私の精神は変化するが、変わってよかったか、悪かったか?書くことも、続ければ「成長」になるのだろうか。

それよりも、私の精神は蝋漬けになったようにも感じる。これが、田舎のつまらない仕事に適応してしまったせいなのか、あるいは酒と加齢が悪いのか、どちらだろう?私は遠く昔――手を伸ばしてやっと手が届くくらいの微妙な感覚だが――の、明晰さ、怒り、感情の激越を取り戻すことができるだろうか。

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