11.15.2015

偉大と悲惨

私の最近の精神的な安寧は、パスカルの言ったように、我々はみな不幸であるということからきている。

幸せとはどこかにあるもの、到達すべきもの、私たちの前から隠されてしまったもの、だれかが独占しているものである――という認識はなくなって、数多くの思想家や宗教家が言っているように、もっとシンプルな定理、人間はみな不幸であり、幸福とは迷妄である、という、ショーペンハウエルに通じる考えを、いよいよ確信を得るようになったからである。

だから、大富豪が良い想いをしているとか……権力者は幸福であるとか……、人間はそういった羨望や嫉妬にかられる必要はないのである。嫉妬や羨望という感情が劣悪なのは、私が不幸である代わりに、だれかが幸福であるに違いないという迷妄による。

人間はすべて不幸だ――しかし、これは厭世主義というわけではないし、悲観というわけでもない。私はだれしもが不幸であるという現実をそれなりに受け止めていたが、パスカルによって、その現実を肯定的に受け入れることができたというわけだ。

パスカルによれば、人間は悲惨であり、同時に偉大なのだから、我々は、別段不幸にあっても、悲観に暮れる必要はない。我々に必要なのは、悲惨のなかにあって希望を持ち、幸福のなかにあって警戒を緩めないことだろう。
苦痛もある段階に達すると、世界がぽろりと落ちてしまう。だが、そのあとでは、安らぎがやってくる。それからまた、激痛がおこるとしても、次にはまた、安らぎがやってくる。もしこのことを知っていれば、この段階がかえって次にくる安らぎへの期待となる。その結果、世界との接触もたち切られずにすむ。(「重力と恩寵」ヴェイユ)
そういう意味では、パスカルの矛盾する定理はギーターの奥義に通じる。すなわち、「成功と不成功を平等のものと見て、諸々の行為をせよ」。もっともパスカルはこの異教に通じているわけではなく、キリスト的なシンボル、たとえばキリストの死と復活、人間の原罪に真理を見出している。


日常のこと――デンマーク製の机が届いた、まあまあ気に入っている。60年代の物が欲しかったけど、80年代の、安価な机になった。まあこれでいいという気がする。どっしりとした、きちんとしたチーク材であって、まともに国内製品を買おうとすれば、何倍もの値段になってしまうだろう。

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