11.18.2015

外傷的なイデオロギー

以下はひどい誤読、あてずっぽうである

昨日述べたジジェクの指摘が私に与えた効果というのは、イデオロギーというからには、何かイデア的なもの、理想的な、完全なもの――という先入観を取り払って、それよりもずっと歪であり、受け入れがたいものとしたことにある。

例えばマルクス的な定義では、「彼らはそれを知らない。しかし彼らはそれをやっている」という風になるのだけど、ジジェクによればイデオロギーとはもっとシニカルなもの――すなわち、「彼らは自分たちのしていることをよく知っている。それでも、彼らはそれをやっている」というようなものなのだという。

シニカル、皮肉なもの、笑いを含んだもの。イデオロギーといえば、なにかまじめな、冷血な印象を受ける。たとえばアルチュセールのように、「イデオロギーとは国家装置である」と言ってしまえば、何か無機質な機械のようなものを思い浮かべるが、そうではなく、イデオロギーとはもっと皮肉なものなのである。

私はこの考えを知って、ひとびとがどうして不十分なイデオロギー、たとえば政治的な主義や、法律や、あるいは明文化されない文化風習になじんでゆくのかが、わかったような気がした。

それは例えば相互依存的な愛情関係――ダメな夫と献身的な妻という図に近いもののような気がする。妻は献身的である、それは夫がダメだからである。夫はダメであるのは、妻が献身的だからである。そうして、妻は自分が夫を堕落させていることを知っており、また夫によって自分が不幸になっていることを知っている。が、しかし夫からは離れられないのである。

この関係は、イデオロギーと主体の関係と似ているのかもしれない。我々は、イデオロギーが欠陥を持っている、それを知っている、そしてそれがために献身的にイデオロギーに奉仕する。そうして、イデオロギーは不完全さを維持する。

イデオロギーとは不完全であり、受け入れがたいものでなければならず、それがために、人々の献身を受ける。案外こうしたことによって、人々の不条理な衝動を説明できるのかもしれないと思ったり思わなかったり。……もう少し勉強しなければわからないな。

1 件のコメント:

  1.  脳や遺伝情報に関する事項や、機械製品とりわけ電子制御が必要な機械などの研究が進めば不完全な統治機構を設定する時代は終わりを迎え、生命の生存にとって最適化された環境・システムが我々の生活の指針となっていくのではないでしょうか?私は世界中の海や山や砂漠や建築や人や虫や動物や機械や宇宙や医学や軍事や遺伝子や未来や過去や思想や言語や哲学や芸術や音楽に精通したいし、貧困や差別や制限や戦争や事故や病気を無くしたいと思いますが、実際には能力が足りないため、その全てにおいて私は貢献することも理解することもできず、金銭が無いので所有したり援助することもできません。「献身」とはそういった不条理なシステムを取り入れることで、本当ならしたいことに対する衝動を閉ざし、コミュニティにとってふさわしい人間へと昇華するための通過儀礼なのだろうと思います。もし、漫画のナルトが使う「影分身の術」のように同じパーソナリティーをもった自己が複数の地点で、全く違う環境で全く違う人生を送り、あると段階でそれを一気に統合したら、物凄く楽しいのか、それとも絶望的なのかとかも想像してみると楽しいです。しかし、現実にはそれを叶えることはできないので、それが「常識」だと思い込むしかないのです。

    返信削除