11.20.2015

今更行動主義など

考えてみれば、私は詩人でもないし、哲学者でもないのだから、無責任に、適当に物を書くことができるということは、これは幸いなことということもできるだろう。

クワインのホーリズムを少し勉強しようと思って、丹治信春氏の著書を手にとった。分析哲学の外形のようなものはつかめたが、なにせアルコール漬けのだらしない脳みそのせいで、断片的にしか理解できていない。

クワイン思想の行き着くところは、ある事実を証明することは不可能であるという不可知論的あるいは懐疑主義的な立場だと思う。私は例によって厳密な哲学的なタームの定義づけを知らないから、上の不可知論的、懐疑主義的という使い方は間違っているのかもしれないが、ニュアンスとしては近いはずだ。

ようはクワインもまた、この世には絶対不変の真理があるとか、神のような超越的存在があるとか、そういう考えは辞めようぜと言っているわけである。クワインの思想的立場は自然主義人間観であり、けっきょく人間も動物の一種で、人間的な見方でしか世界を把握できるものではないという価値観である(まあ皮相的にしか読めてないので、こういう漠然とした理解しかできないのだが)。

クワインは行動主義的な心理学にかなり傾倒したようで、行動主義の一個の神話と言ってもいい「パブロフの犬」を、だいぶ極端に拡大適応している。つまり、われわれは何度も同じ刺激を受けると、次もその刺激を受けると考える。われわれは、そういう経験から理論を作り出す。たとえば、リンゴは落ちるから、引力があるのだという風に。

「パブロフの犬」は、「ベルが鳴ればエサがもらえる」という「法則」を生みだした。われわれの科学法則とは、これと同じようなものではないか――とクワインは考えた、のかもしれない?(誤読かもしれない)

当時は行動主義全盛の時代だったから(とくにアメリカでは)、クワインが影響を受けたのもしょうがないのかもしれないが、行動主義というか心理学自体がなんだかいまいちな学問になってしまった今では、クワインの心理学に対する信仰も少しアレなように思える。

ともあれクワインも無神論的、アンチ・プラトニズムな考えを有していることを知り、なんとなくそれは喜ばしいものだと思った。それは凡庸なニーチェ・ファンの感想でもある。
かれらはかれらのみじめさから脱出しようと願った。しかし星はかれらには遠すぎた。それでかれらは嘆息した。「ああ、今とは別の存在と幸福とにはいれる天上的な道があればよいのに」と。――それでかれらは、かれらの抜け道と血の飲み物とを発明したのだ。(ニーチェ「ツァラトゥストラ」より)

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