11.24.2015

旅がしたい

自己肯定とは言っても、昨日は沈鬱な気分だったことに変わりなく、また、風邪気味だったので、しびれたように頭は動かず、体も節々が痛み、最悪の気分ではあった。

家に一日中いても腐ってしまうので、車を走らせて、海の見える駐車場に止めて、読書をした。女性旅行家、イザベラ・バードに関する本を読んでいると、無償に旅に出たくなった。

また、三木清の「パスカルにおける~」も並行して読んだ。パスカルのメンタリティは、私と似ていると思う。あるいは三木清と似ているのかもしれない。とにかく、生は真剣に、素直に捉えようとすると、死の絶望という難問にぶちあたる。

パスカルによれば、「時間」とは、死を予見するがために生まれる概念なのだという。ほんとうだろうか?とすれば、たとえば神には時間もないし、また動物たちにも時間はない。死にゆく存在であり、かつそれを自覚しているわれわれ人間にしか、時間は存在しないということになる。

三時に猫に餌を与え続ければ、次第に三時に猫はエサをねだりにやってくる。これは単なる機械的な衝動であり、猫自体は時間を認識するものではない――のかもしれない。

とすれば、宗教的不安、死の不安がなくなれば、われわれには時間がなく、永遠が与えられることになるだろう。

もっとも、世の大部分の人間は、そういった不安を上手に包み隠して生きている。ある「揺り動かし」によって、我々は死の恐怖に目覚めるわけだ。つまり、死ぬときはひとりで死にゆくという悲惨である。それを踏まえた上で、不安を隠すのではなく、不安を解決してしまえば、人間は永遠に到達するということができるのかも。もっとも、そんなことができる人間がこの世にあるだろうか。


まあそんなことはどうでもよいのだが、ともあれ何か目標がなければ、私は自分の生がどうにもやりきれないもののように思えてくる。そうなので、やはり来年2016年に、世界旅行をしようと思う。中国から欧州へバイクで抜ける、というのを考えている。欧州でバイクを売って、アメリカに飛んで、またバイクを買って、南米を一周してみたい。

一年か二年くらい、だらだら旅を続けようと思う。金が何百万円いるのだろうか?金もない、時間もない、余裕のない惨めな旅にはしたくないものだ。いまのところ、旅への憧憬が、私の惨めな生活の唯一の希望である。

2 件のコメント:

  1.  やりたいことをやったらいいのではないでしょうか?学歴や先人の偉大な言葉を根拠にしなくてもやりたいことをやる権利は誰にでもあります。経済的な問題はいずれにせよ生きている以上付きまとうし、社会的成功も相対的なものであることは他でもないあなたが一番理解しているわけですから説明するだけ野暮でしょう。人生の長さは誰にもわからないので、人生80年で計算しても結局1週間後に死ぬ可能性だってあるのだから迷っているのは損です。それよりもやりたいことがあるうちに挑戦しておかないと、そのうち自分は社会に適応しなければならないのだ。などと主体性を失ったことを覆い隠すようなことを言い出して、思考停止や自己卑下に支えられた日常を肯定してしまう人間になってしまうのでは・・・・?

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  2. Sentimental touringの1枚目、ベンチのメットとグローブがとってもいいね!フローレン

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