11.27.2015

矛盾への偏愛

生きてあることのくだらなさよ――。

貯金が200万円を越えた。

私の生命は固着し視野が狭くなっていく気がする。それに対する抵抗力は、もうない。私はしてやられた、という気がする。日本的イデオロギーにやられたのである。私は西洋合理主義に恋い焦がれた。しかし、それも必要な一過程であった。私は、日本的価値観を認めざるを得ない。手の内で転がっていたというわけだ。

母性的な温かみが、日本的なイデオロギーであるという気がする。何万遍も指摘されたことだろうが、西洋は父性的な宗教であり、東洋は母性的である。

東洋の女性は、信じられないほど寛容である。これは私が実社会で生活していて、その「寛容の底知れなさ」に驚くほどである。

日本人女性の旅行者は海外ではだれとでも寝る、性的にだらしない――ということが世界中で広まっている。これはおそらく経験的に事実なのだが、バカな日本人は「かつては大和撫子だった日本女子が今では」と嘆いている。私はそもそも女性的な寛容さと、性の寛容さは、近しいものであると思う。

東洋男性は女性の寛容さのために弱くなる。

東洋男性が西洋の女性に人気がないのは、そのせいだろう。私が女だったとしても、日本人男性よりは白人男性の方がいい。

西洋ではヒステリックな「フェミニズム」が叫ばれる一方で、東洋的な社会ではあまり受け入れられないのは、そういった事情によるのだろう。西洋ではフェミニストの台頭は、黒人解放と同性愛者解放の間くらいに意義のあることだが、東洋ではすでに女性が優位であるから、そんなことを指摘する必要もなく、なんちゃってフェミニストの空虚な主張が繰り返されるのみである。

話がだいぶ脱線したが、ヘーゲル流に言えば、アニミズムとは野蛮人の宗教であり、父権的な一神教の宗教こそ進歩的ということになるだろう。しかし人間の生育には、母親も父親も必要であり、父親に母親の代わりはできないのであり、母親は父親にはなれないのである。

そういうわけなので、東洋思想に憧れるヒッピーも、西洋思想に憧れる東洋のインテリも、どちらも子供じみた憧憬を見ているだけである。残念なことに、絶対的な真理などはない。彼らが立派に成長したときには、東洋思想も西洋思想も老いさらばえ、足腰は弱り、背中は曲がっている、ということになる。

人間はいつか親を克服しなければならない。思想もまたそうである。

パスカルの言ったように、我々は矛盾的存在であるならば、我々にとっての真理もまた、矛盾的であることが許されるだろう。矛盾――クレタ人。ウロボロス、メビウスの輪。

「真理は存在しない。これが真理である」

0 件のコメント:

コメントを投稿