12.13.2015

第九の効用

第九のコンサートが12月に行われるという風習は、日本だけのものである。もともとは交響楽団の金稼ぎと聞いたことがある。第九は合唱団が必要だから、その家族や知人が見に来るので、チケットが売れる。それで安定した収入を得られるという算段だ。

このように経済的理由により恒例となった第九だが、しかし一時間超という時間をただ音楽を聴いて過ごすというのは、年末の行事としては意外と合理的な面もあるのではないかと思う。

忙しい生活のなかで、ただ音楽だけを聴いて過ごすという時間は、なかなか取れないものである。時間があれば、あれをしたい、つぎにはこれをしたい、といろんな念慮が働いて、我々の生活は、つぎつぎ瞬間的に現れる目標に向かってつねにあくせくと動いてなければならない。

そうした一連の生活のなかで、コンサートという受動的に音楽を聴くという状況は、なにか寸断された、特異なものである。われわれの仕事は、ただじっとしているだけ。することというよりも、しないこと。音を立てないこと。身じろぎしないこと。

べつにベートーベンに興味がなくとも、良いのだと思う。こういう「何もしない一時間」で、一年を振り返る、という時間は、まことに貴重である。一時間という時間もちょうどよく、我慢できないほど長いというわけでもない。また十分に思考を逡巡させるには足りる時間である。

そういうわけで、日本で第九が流行る、ということは合目的的な理由もあるのだと思う。

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