1.14.2016

職場に警察がきた話③

さらに、こういう者たちもいる。かれらはおのが沼のなかに腰をおちつけて、葦の合間からこう語る。「徳――それは沼のなかに黙って座っていることだ。われわれはだれをも噛まず、噛みつこうとするものを避ける。そして何事につけても、人から与えられた意見を持つ。」(「ツァラトゥストラ」「有徳者たち」 手塚富雄訳)

上司から仕事の手続きの話を聞いていると、「そんな真剣な顔をするな」と言われた。気づかないうちに人相が変わっていたらしい。

今日は早めに仕事を切り上げた。被害者と会う約束がある。被害者は、警察署付近に来いという。

私と一対一で会うのが嫌なのかもしれない。またあの無作法な警察官に会わなければならないと思うと嫌な気持ちになった。

田舎だが、警察署周辺はそこそこトカイなので、帰宅ラッシュの渋滞につかまる。マニュアル車で渋滞はつらい。仕事の疲れもあって、ぼんやりしてくる。

「警察署についた」と電話する。電話の相手は、被害者の会社の重役。60は過ぎているだろう老人の声。敵対心のようなものは感じられない。「そこから回って来い」と言ってくる。どう回ればよいのか、さっぱりわからないまま警察周辺を回る。途中電話がかかってきて、なんとか重役を見つけ出す。

重役は、なんということのない老人だった。スラックスに、安っぽいジャケットを羽織っている。しかし、やけに気さくだ。私の出身とか、家族の話を聞きたがる。連なって歩く。その近くの食品系の会社に案内される。別に警察を介すわけでもないらしい。ただ警察署に近かっただけか。

オフィスは薄汚れた雰囲気。デスクが数人分、散らかった文房具、ヤニに汚れたままの壁。いちおうの応接間といったところに私は座る。そのときに、買っておいた菓子折りも渡しておく(その程度の社会性は、私も持ち合わせている)。

本題が始まるか、というときに、老人は、書類がない、ない、と言って立ち上がった。あちこち探し回っている。車の方まで探している。5分くらい私は老人が書類を見つけるのを待った。しかし結局それは老人のポケットにあった。私たちは笑った。

老人は、ミラー代の請求をしてきた。私はそれを支払った。思ったより高かった。私の給料の、1.5日分といったところ。

示談書を用意してなかったので、その場でスマホの検索を参考にしながら書いた。この手の公的文書は、独特の格調がある。なぜ被害者と加害者は「甲」「乙」でなければならないのか、と思いながら筆を進める。その間、老人は私の家族、仕事について聞きたがっていた。

書き終わると、双方が二枚の書類にサインし、事は終わった。

被害者と加害者の関係だが、最後には打ち解けたような雰囲気になってきた。「警察は示談で済ませろと言っていた。あんたの人格面を評価したんだろう」と言う。私は老人の話をただ頷いていただけだが、それが老人にとっては好印象だったらしい。人格が優れていたら、ミラーを殴ったりはしないと思うし、それに警察はめんどうな仕事を増やしたくないだけだろう。

気のいい老人だった。しかし私は、逆に手ごたえのなさを感じた。私がなぜミラーを割るようなことをしたのか、一言でも聞いてくれればよかった。

その老人は、やはり部下のしたことをよく知らされていなかったらしい。「運転手に悪いところがない、ということはないだろう。でも、手を出したらいけない」と、老人は締めくくった。私は、否定も肯定せずに終えることにした。一言でも、私を非難するようなことを言えば、私は自分の正当性を主張してやるつもりだった。老人なりの考えもあったのかもしれない。


こうして、警察がきてから、ばたばたとした日々が過ぎた。私はふたたび安寧を見出したというわけだ。また日常的な生活に戻ることができる。

いろいろ考えるところはある。私は、やはり反省はしていない。あの殺人的な運転をしたドライバーを依然として憎んでいる。ただまあ、事は早めに終わらせた方がいい。

私が学生か無職だったら、徹底的に抗戦しただろう。ただ、私は日々の仕事に疲れている。そんな元気はない。それに加えて裁判やら何やら、とてもかかえていられない。

そういうわけで、私はさえないサラリーマンのように、金を払って事を終えた。まあ、そんなものだろう。

あとは警察に示談書を提出して、事はおしまいとなる。

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