1.22.2016

かいわれ大根

よくわからない日々を送っている。

生活はだんだんと豊かになっている。私の貯蓄額は増え続ける。バイクも2台に増えた。対流式の石油ストーブを買った。一日の労働時間は、だいたい8時間で済むようになった。美容室のおじさんから、生楽器を貰えることになった。

なにか生活が上昇しようというときには、ひとは足元を見ることはない。目のよい人間は、わずかな生活の向上に天上の幸福を見出す。逆に生活の喪失にあたっては、地獄を見なければならない。それが、目のよい人間の宿命である。凡庸な人間は、天国も地獄もないが、目のよい人間はささいなことで狂喜し、ささいなことで死のうとする。

私の生活から、なにか達成すべき課題はなくなった。私はこれまで、よくがんばった。この生活を得るためにだ。私にはもう物語がない。生活は十全している。ヒーローとお姫様は結びついた。あとの数十年は、「幸せな生活」の一語で締めくくられる。歴史は終わった。

因果律は消える。私には過去ももうない。私は自分に関することのすべてに、執着することはなくなった。両親に対する反抗のようなものも、なくなった。それは執着だった。私は見知らぬ老人に接するように、両親に接する。

私の前を、どんな人間が通り過ぎようが、それはどうでもよいことだ。私は、人ごみのなかであって、孤独であることができる。私はだれかと話しながら、孤独であることができる。それと同じように、私は事件のさなかにあっても、平静を保つことができるだろう。



今日は朝から疲れているので、適当なことを書いている。読書をしたいけどあまり時間がない。少しずつ本を読んでいる。やっぱり学生時代の、朝から晩まで読書ができた環境は、すばらしかったと思う。でも、最近は読むべき本、私に興奮を与えるような本も、限られてきた。半分くらいは読んでみても、飽きてしまうことが多い。

さいきんはTimesがやっと届いたので、読んでいる。なぜか、英語を勉強していた学生時代よりも読みやすいと感じる。受験英語は、英語力を日本人につけさせないよう作られていると聞いたことがある。西洋グローバリズムへの対抗策だという。陰謀論めいているが、たしかにあんな教育を受けていれば英語はできなくなってしまうだろう。難しい構文や文法を覚える必要はないから、単語と、スピーキングにもっと力を入れるべきだと思われる。

Timesでは、ほとんと米中の記事がメインで、日本の話題はほぼない。ようやく見つけたのは、「こんまりの片づけ術」の記事。それ以外は一切ない。いまの世界の注目は、大統領選と中国経済ということか。当然スマップやベッキーではない。

英語記事を読んでいると、脳が活発化するのがわかるから好きだ。当然だが、外国語は頭を使う。

適当にブログを読んでいたら、ヒュームの懐疑論を否定するコメントを見つけた。科学においては懐疑論は正当性を持つが、実生活においてはそれは成り立たない。AがBに押されて転ぶとする。「Bが押した」ことは懐疑論によっても否定できない。という理屈だ。

一見して、これは簡単に反論できるような気がしたけど、混乱してきた。まあそういうことを考えながら今日も仕事をしよう。


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