1.09.2016

医学における東洋と西洋

朝からどうしようもないことを書いた。こういう日は、たいてい体調が悪い。案の定、発熱気味だ。

今日は休日出勤の傍ら、ベンジャミン・フルフォードの本を読んでいた。陰謀論者の間では有名な人だ。私は陰謀論者じゃないが、こういう界隈の人の本も読むべきだとなんとなく思ったのだ。

私が読んだのは、「人殺し医療 マフィアが支配する現代メディカル・システム」という、医療業界の暗部を告発するような著作。めまいのするようなB級感あふれるタイトルだが、内容はまあまあといったところ。つっこみたい部分もあるが、感心することもあった。流し読みだから、数時間で読めた。

この本のなかでたびたび、「西洋医学は戦争のなかで生まれた」というような記述がある。私は、そのような認識はなかったから、これにはなるほどと思った。西洋医学は外科的治療の技術に優れ、また患者の容態を急速に安定させる面で優れる。つまり能率的に兵士を戦闘に復帰させるような治療には向いているのである。

これと反対に、例えば東洋医学は、一般的に緩徐で長期的な治療になる。漢方薬では病気の根を治すというよりも、体質の改善が重要になるからだ。たとえば腸の弱い人、下痢や便秘を繰り返すがいるとする。西洋医は、下痢止め・便秘薬を投じる。あるいは、腸の運動を調節するような薬を処方する。これらは数時間~数日で効き目が出る。一方漢方医は、腸を温めるような薬を出す。これらは数日間で効果が出ることもあるけど、体質がしっかりと改善するにはふつう数か月間の治療期間が必要である。

即時に回復するのは西洋医。だが、原因を根治するのであれば東洋医の方が適しているだろう。

ベンジャミンは述べていないが、単純に二元論的な考えと言ってもいいかもしれない。身体のなかで悪さをする菌がある。それを殺してしまえばいい。身体のなかで欠乏すると病気を起こす物質がある。それを摂取して補えばよい。あらためて考えると、西洋医学は根本的にこういった考え方をする。善悪二元論的な考えである。

東洋医学も、弱った部分を補うという点では同じである。ただ、西洋医学とは根本的に違う、と私は思う。西洋医学は、人間に十全な状態があるとする。「完全に」健康な状態があるとする。そこに近づけようと努力する。東洋医学では、ひとはそれぞれ違うということを肯定する。違っていてよいが、生活が困難であればそれを修正する。そういった考えのように思える。

西洋は太陽を目指す。それは、天空の一極点である。東洋は地に根差す。大地の上で、各々が自然と調和し生きていくことを目指す。

この東洋・西洋の違いは、表現しづらい。ただ、やはり西洋医学には根底に善悪二元論があり、理想主義的である。その影響が医療にも現れていると感じる。

西洋医学が戦場で発展していったものであるとすれば、なにもすべて西洋医学で治療する必要はない。慢性的な疾患では、東洋医学の方が役立つのではないかと私は思った。たとえば風邪を引きやすい、喘息、胃腸が弱い、イライラしやすい、などの体質。



ついでにこの本で感心したことは、ビタミンDがインフルエンザの予防に良いということである。インフルエンザワクチンの予防効果は、10%程度と気休め程度のものである。

ビタミンDはどうか。調べてみると、慈恵医科大が研究していた。ビタミンD摂取群は、その対照群と比べ、インフルエンザの感染率が半分に低減したのだという。これは私も意外だった。インフルエンザワクチンが効かないことは知っていたけど。

ビタミンDのサプリメントはアマゾンで600円程度で売っている。これでは数千円するワクチンを打つのもバカらしい。もっともビタミンDは脂溶性ビタミンであり、高Ca血症を起こすこともあるので安易な使用は控えたいところ。

ベンジャミン氏は、まあまあいいことを書くという気がする。でもやはり、あまり好きではない。

1 件のコメント:

  1.  「死に至る病とは絶望のことであり、絶望とは自己を喪失することである」とはキルケゴールの言葉である。安逸な生活を送っていようとも歴史に名を残す業績があろうとも、自己を喪失したものは決して絶望からは解き放たれない。すなわち腫瘍を取り除くことは、理想的自己像に近づける行為ではあるが、自己を容易く喪失しようとする行為でもある。そうして安易に自己を喪失したものは、絶望に身を委ねることになり、死に至る。ここでいう死とは、死が死ぬということであり、自己として死ぬことができなくなるという意味である。

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