1.09.2016

日本の労働環境考

日本人は働きすぎかどうか、をバカな男が考察していた。

バカな男は、日本は統計上米国や韓国よりも労働時間は短いとする。

さらに一人当たりGDP/労働時間のグラフでは、諸外国と比べてもまずまずで、中程度であるとしていた。

ゆえに、われわれは働きすぎということもないし、それなりの対価をもらっているのだから、貧しいわけでもないとした。


私は、第一に、日本の統計を信ずるべきではないと思っている。私はそもそも、文化的に日本人はあまり統計を重視しないのではないかと思っている。つまり、日本政府は正確な統計データを公表しなければならない、とは考えておらず、また正確な統計データに基いて政策を決めようともあまり考えていない。

言うまでもなく、現状の正確な認識には統計データが必要不可欠なのだが、日本人はそれよりも、皮膚感覚や感情によって行動を決めることを是とする性質がある。あえて例をあげることはしないが……。

そういうわけで、日本政府の公表している統計には眉に唾をつけなければならない。

第二に、日本の労働時間を考察するときに、サービス残業を考慮しないのは、あまりにもおバカだと思った。

というのも、現実に、私の職場にいる職員は、おそらくだれひとり残業申請をしていない。それでも、平均してみな10時間は働いている。なかには、8時間労働のところ、13時間以上働いている職員がいる。ようは、8時に出社し、21~22時に帰宅という按排だ。

地方の中小企業の現実とは、このようなものだ。そうして、こういう過酷な労働条件こそが日本ではスタンダードなのではないかと私はひっそり思っている。

そういうわけで、私の目から見ると、日本人はあまりに働きすぎであり、身を粉にして働いており、加えてその労働の対価はひどく貧しい。日本人はどんどんと貧しくなっている、というのが実感である。


我々の生活は貧しいということを基準に立たねば、世の中の認識は歪んでくる。

私は、日本人が貧しい生活をしていると思うけども、それは物質面の話で、精神的に豊かであればそれでよいと思う。

日本人がもしも人権意識や法的な規律に厳格になることがあるとすれば、そのことは物質的な豊かさを保証するだろう。たとえば、個人個人がサービス残業を強要する経営者を即時告訴して、残業代がきちんと出るようなことがあれば、労働者各々の残業時間は減るだろうし、残業すれば、それだけの割増の対価を得ることはできるだろう。

もしも法意識が行きわたれば、NHKの料金徴取はなくなり、記者クラブは解体し、風紀を乱すパチンコ屋は消え去り、ヤクザはいなくなるだろう(なんだかこの手のことしか思い浮かばず、発想が貧困だ)。

しかし、それで物質的に豊かになったとしても、我々は精神面の貧しさを感じるだろうと思う。また、国家―国民は深層レベルで断絶されてしまうだろう。

我々は国家と血縁的な関係にある。つまり、天皇を頂点とする「父―子」の関係にあるのである。平社員は「父」経営者に奉仕し、経営者はその上層の大企業や役人に奉仕し、大企業は政党や官僚、皇族に奉仕し、その最終的な父は天皇なのである。このことの是非を問うつもりはないが、まあそういうことになっている。日本人が経営者に奉仕する(サービス残業をする)という構図は、この背景から生じる。

国家という訳語はなかなかうまいもので、日本では一国は家族なのである。人権意識は日本にとっては毒素であり、一家離散を導く厄災ということである。

西洋はといえば、「神―人」の超越的関係にある。話がとんでしまったし、長くなったので、今日はこれだけにする。

とにかく、そのバカな男は、世の中のことを皮相的にしかとらえることができていないから哀れである。そのくせうだうだと御託を並べ、自分は賢いのだ、というようにアピールする。こういう人間を、私は軽蔑する。

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