2.18.2016

大地的生活

今日は会社の部署で酒を飲んできたが、やはりホストあがりの上司は良い人物であるという風に思う。

社員が会社に対して献身的であることは、この会社では珍しいことではない。サービス残業はいくらでもやる、という社員が多数だ(私は例外である)。それは田舎の雇用の事情もあるのだろう。この会社をクビになったならば、再雇用の望みなどない……。

元ホストの良い点は、経営者の気に食わぬ点を、当たり障りなく、(というのは、柔和に、という意味ではない。あくまで主張すべき点は主張し、反論は反論として受け止める、という態度で)「説得する」というところにある。元ホストの主張は、すべて理に適っている。そのあたりの頭の回転、というか手腕は、私も傍で聞いていて唸ってしまうほどだ。

元ホストの彼には、浮ついたところはまるでない。それどころか、彼は仕事に対して、おそらく過剰なまでに熱心である。私よりもよほどだ。仕事にクオリティを求める彼にとっては、仕事に対して家族的なつながりを求める経営者とは、少し違うらしい。

クオリティという用語は、科学と芸術に分化される以前の根源的要素である……。すなわち、科学もクオリティを目指し、芸術もクオリティを目指す。その働きこそが、科学を合理的たらしめているのであるし、芸術も我々にとって感動的でありうるのである。

同じような働きを、仕事にもたらそうという人物はある。元ホストがそういう人間である。そのような人は、周囲を巻き込み、環境を改善する。労働時間が8時間30分だったのを、8時間に変えたのも彼だったが、仕事にクオリティを求めるとすれば、だらだらとサービス残業をさせる環境は好ましいものではないだろう。

そのような人間を目にして、私は労働に対して無味乾燥のイメージを抱かなくなった。それはやはり、くだらないビジネス書にあるように、自己実現の場では、やはりあると。

そうなれば、私があくまで世界旅行とか、隠遁生活に憧れるのも、ひとつの偶像でしかないということになるのかもしれない。

昨日魯迅の本を読んで感じたのは、彼もまた数年間は平凡な公務員生活を送ったということである。彼のような激しい人格にあって、そういう期間があったということは意外だったが……。彼にとって、その期間は無駄だったのか、必要だったのか。

人生、何がどうなるのかわからない。私のいまの日常は退廃的だが……。それも一個の人生として重要な要素なのかもしれないと思うことがある。

ともあれ、私は今の仕事に就いてコミュニケーション能力がついたと思うし、それは良いことだったと思う。他人の人生を、肯定的に吟味することができるようになった。私が大学生のときには、それは難しいことだった。私以外の人間は幸福であり、幸福であるゆえに軽蔑すべき人間だったから。

まあ、幸福な人間は、幸福であることができる以上、いろいろな人間よりはましだと思うようになった。

まあ、くだらない日常のことばかりここで書いている。遠い未来の理想の話は、私には似つかわしくなくなった。私には垢と体臭に満ちた数日後の未来しか、ない。当然、私の目標にしている海外旅行というのも垢と体臭に満ちているのだが。私には、天空を愛する気はなく、大地を愛することしかできない。また、大地だけを愛して、後悔する時間もない。そのように感じる昨今である。

今日は酔っぱらっているので、このような支離滅裂な文だが、もとよりこのようなブログであるから、そのままアップロードする。

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