2.22.2016

神経症者の生活

今日付けで部署が変わるため精神的に楽である。考えてみるといままでがオーバーワーク過ぎた。ただ人間どんな環境にも慣れるということを知る良い経験だったとも言える。

年度末の昇給を教えてもらったが思ったより少なかった。もっともらえないかと経営陣に頼んでみたが一年でそれほど昇給した例はないというから貰えないらしい。それは残念だがともかく暇な部署に移ることができたのだから幸いとしよう。

「もう少しあげてもらえませんか」と言うことは勇気のいることである。そして経営陣のあっけにとられた顔もおもしろいものだった。「仕事をさせてもらえるだけでもありがたいと思え」と眼で訴えていたが私は経営者に奉仕する存在ではない。労働の対価として金銭を受けとる人間でしかない。

「愛社精神」のようなものもわずかに芽生えており多少は経営陣のことも好きである。まあがんばっているとは思う。ぐうたらのくせにベンツに豪邸のような経営陣ではなく率先して働くような気概のある人だから別段憎む必要はない。それはそれだがこれはこれ。

賢く生きれば金は手に入るだろうが惰性で生きることも存外悪いことではない。とにかく精神的には楽である。ライフデザインを思い描いてどうのこうのと昔は考えた。年収2000万円くらいを目標にしようと思っていたが1000万円くらいでもそこそこ幸福だろうと思う。

昨日バイクを納車した。そのバイクは20万円弱で、相場より少し高めなのだが、たいして気にもせず支払った。どうせ最低でも15万円で転売できるからということもある。状況が良ければ20万円でまた売れるだろう。バイクの中古相場は高値安定であり暴落ということがない点では優れた投資対象である。

20万円といえばかつては大金だった。それは2,3ヶ月分の生活費を意味したからだ。今は貯金額がそれなりにあるから、20万円の買い物をしても生活への影響は皆無だ。そう考えると、私は豊かになったと言うことができるだろう。

これまで、金銭的には豊かだったにせよ、生活はボロボロだった。労働の苦しみ、精神的重圧と肉体的疲労により私は醜く太ったし頭も禿げた。なにしろ仕事が終わればどっと疲れ本を読む気にもならず、毎日酒とポテトチップスを食べなければやっていけないという状況だったから。

これから仕事が楽になるのであれば私はもっとゆとりのある生活ができるだろう。これまでは8時間みっちりと仕事があり、息をつく暇も、コーヒーをすする時間も皆無だった。労働時間の8時間は労働でべったり塗りつぶされていた。これからは考える時間的なゆとりができるだろう。

こうして、公務員的な楽な環境になればもっといろいろできることがあるのではないかと思う。カフカは午前中だけ働いて午後を執筆にあてた。ペソアも似たような生活をしていた。彼らはその生活を好んだことだろうと思う。彼らは私と似たメンタリティだと思う。

ある程度、収入の約束があって、毎日同じような業務があって、それらはなんら精神に影響を及ぼさない。手先は勝手に動く。ある意味では囚人と似た生活だが、そういう生活こそ神経症者にとっては理想的である。

というのも、神経症者は外的刺激に過敏であるから。神経症者の多くが恋愛や性交において不能なのは、その刺激があまりに強すぎるからだと私は思う。働きすぎても神経症者はつぶれるし、働かなくてもその空疎さが今度は重圧になるだろう。

そういうわけで、ある程度豊かで、静かな暮らしが私を待っていると思うと、それは好ましいものだと感じる。もっとも、そこでの労働が何か月続くかはわからない。また転属になるかもしれないし、私が退職するかもしれない。まあしばらくはまじめに働いてやろうと思う。今年中に旅に出ることができるかはわからない。

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