2.23.2016

スコレー

昨日は部署が変わって初日だったがすごい職場環境である。とにかく暇であり談笑ができコーヒーが飲める、よほど暇な時間では読書することも可能だろうという職場である。家に帰ってもまったく疲労感がない。

これまでは家に帰ると鉛を引きずるような重い疲労感があった。それがない。だから私はスーパーで弁当を買わずに、鶏肉を買い、ニンジンとエリンギを買い、バターで炒めた。それくらいの元気は優に残っていた。食事のあと何をするかと考え戸惑った。これまでは何をしてきたかと逡巡するもとくに思い当たらない。酔いつぶれていたのだ。余暇の時間をつぶす作業が必要だぞ、と新しい課題が生まれた。

以前では精神的にも疲れ酒を浴びるように飲んだがそれもない。朝は二日酔いと疲れの残りにより重力とめまいに対抗しながら起き上がったものだが、今日はすっきりと目覚める。

昼休みも、ご飯を食べて寝るための時間だった。そうしないと疲労で死んでしまいそうだったからである。新しい環境では、まったくその必要はない。ご飯を食べながら、Timesをパラパラめくって過ごす。

良い生活だ。これまでの、仕事に追われていた環境は何だったのだろう。こうも暇な職場になるとは思わなかった。大学の研究室時代よりははるかに楽である。

おそらくこんな部署にいつまでもいるわけにもいかないだろう。採算が取れてないように思うからだ。経営者から、数か月したら、また前の部署に戻ることが示唆されていた。しかしこんな生活なら、何年でもしてやっていいと思う。昇給もしたことだし。

うまく飼いならされているのかもしれないが、ある程度の金があり、ある程度の余暇があり、ある程度の仕事の楽しみもあるのであれば、別にそこから離れる意味はないだろう。もちろん、「実存」というテーマを考えるのであれば、あえて苦しい環境に飛び込む、アシジのフランシスコのような行動も必要だとは思う。あるいはニーチェの言ったように、進んで過酷な環境に挑まなければ、精神は使わなくなった筋肉のようにしぼんで劣化していくこともあるだろう。

ただまあ、ぬるま湯のような生活も悪いものではないと考える。偉人や天才になるだけが人生ではない。痛苦と絶望だけが人生でもないだろう。ひとまず余暇的な生活を楽しみたいと思う。


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