2.03.2016

富の蓄積

金銭感覚が徐々におかしくなっており、昨日1万円の売買取引を完了させ、今日は1万5000円の取引を完了させた。両方とも、個人売買である。また、いま15万円相当の取引を検討中である。

社会に出て、金を稼ぐと、数万円単位の買い物にさほど躊躇しなくなる。私の学生時代の貯蓄は、だいたい20万円を越えることはほぼなかった。それが今は10倍以上の資産があり、また収入も何倍かの金が毎月入ってくるから、当時は数十円の違いに拘泥し、学食でもおにぎりを持参し豚汁のみ注文するという生活だったのに、今では数万円のものでも、気軽に買ってしまう。

いまでも貧乏性というかケチな性分は残っており、スーパーではほとんど半額のものしか買わないし、外食は一切せず、衣類は海外のセール品しか買っていない。例えば私の今来ているコートはイギリス製のもので、セール品で1万円だったが、日本で同型のものを買おうと思うと6万円程度する。

日本の消費者は、基本的に批判能力がないために、つねにぼったくられている。例えばおいしいと評判の日本のフルーツを食べてみると、ひたすら甘いだけで、まったく食べられたものではない。これなら砂糖水を飲んだ方がましだとつねづね思う。日本人の舌は繊細ではない。甘ければうまいのである。

話が逸れたが、私が個人売買で数万円で買うのは、だいたいがそれだけの価値があるからである。いや、実際はそれ以上かもしれない。例えば、今日決めた1万5000円の取引は、うまく写真を撮って転売すれば、2万円には(最低でも)なるはずである。

だから、実際上私は金を失ったわけではない。金と商品が可逆的なのである。私は買い物をしたが、金を失ったという実感がない。これが、個人売買の強みだと思う。店舗は必ず利益を出さなければならないから、ほとんどの商品が「買い損」になる。個人売買は必ずしもそうではない。

物を買うことが、単なる消費ではなく投資になってくると、これは金持ちになってきたことの証拠なのだろう。投資の対象は必ずしも株や不動産である必要はない。金の概念が、紙からモノへ分散させるということである。

金持ちは、自由に金を動かすことができるということだ。そうして、そのことが利益を生む。一万円札はつねに一万円の価値しかないが、一万円で買ったモノの価値は5000円にも十万円にもなる。だから、適切な目利きができれば、利益が利益を生むという良好なサイクルが生じる。

利益を大きくしようと思えば、リスクをとるのが妥当だと思われるが、これはたいてい失敗するだろう。500万円を510万円にするのは簡単だが、10万円を20万円にすることは容易ではない。これが、お金の妙なところだ。

資産が100万円しかない人間が、金を儲けようとすれば大抵失敗するだろうと思う。だが1億円持っていれば失敗する可能性は減っていくだろう。ようは資産を多く持たない人間には、できることが限られているのであり、資産家はたいていの手段が容易に行使できるのである。

その証拠に、私の頭には不動産投資をしようという気が沸かない。私に考えられるのは、せいぜい数十万円のバイクの転売で儲けるという手筈である(この「バイク屋の真似」はたぶん、確実に利益が生みだせるが、ふつうに働いた方が儲かるのでしない)。

ところが私に1億円が与えられれば、バイク屋も可能性としてはありうるけども、もっとさまざまな投資、宝石や芸術品なども視野に入ってくるだろう。

私が金を貯めこんでいるのは、金が好きだからではない。海外旅行という目標があるからだ。ただ、この10か月ひたすら金を稼いで、感じるのは、貧乏人の世界と金持ちの世界は違うということである。これは単純な事実である。女にとっての世界と男の世界は違うことと同じだ。

どちらが良いとは言えないが、性別の違いとは異なり、金銭感覚の違いは体感することができる。貧乏人の視点と、金持ちの視点はできることなら知っておくべきだろう。初めから金持ちの人間は、貧乏を知ることがなければそれだけ視野狭窄であるということもできる。

まあ些細な買い物からずいぶんと長く書いた。今日はもう寝る。

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