2.04.2016

ソクラテスの死刑

大地と天空のふたつの信仰がある。

天空の信仰。古代ギリシャ、キリスト教、近代文明。
大地の信仰。中国思想、インド哲学、古代文明。

我々は古代ギリシャ文明に恋い焦がれる。なぜか?それは我々の社会の神話の源流が、そこにあるからだ。我々が恋い焦がれる科学の源流は、古代ギリシャから生まれた。

理性が、われわれの実存を奪い取った。ただの道具である理性が、神格化され、我々を飲みこんだ。

無意識と意識の対比。理性は意識の側にある。実存は無意識領域にある。理性が無意識を飲み込む。これが神経症のメカニズムである。

理性とは武器であり、道具である。初めから満たされた人間には、理性は重要ではない。理性とは、人間存在を在る場所へと移動することを可能にする橋であり、目的地ではないはずである。

われわれは、普段の生活のほとんどを無意識的判断に従って生活している。われわれは、無意識の指示する命令を至上のものとし、行動することに慣れている。しかし、そこに理性があるとどうか。

「お前の行動は非合理的だ。なぜならば~~だからだ」と言われると、どうやらそのように思えてくるし、その言表に従った方が得のように思える。

理性のはたらきの醜悪さは、ある程度芸術作品をたしなむ人であればわかると思う。理性的に完成された作品であっても、それは良い作品とは限らない。かえって吐き気を催すこともある。英才教育で超人的な技能を身につけた少年少女のピアノが、何ら心に響かないということが往々にある。

しかし非理性的な作品が必ずしも良いというわけではない。数十年前の人びとはこの錯誤に陥った。すこし前に流行ったフリージャズなど、抽象芸術の真似事で、抽象芸術と同様、たいした価値はない。

良い作品とは、理性的にもよい作品であり、非理性的な感性的領域においても、良いものである。

大地において、万物は流転する。天空において、一極点(太陽)は永遠である。どちらも我々の実存に与している。理性をこねくり回すようりも、天と地の声に耳を傾けるべきだろう。

だから、ソクラテスが「青年をたぶらかす」として死刑となったのも、理解できるのである。もっとも、ソクラテスはプラトンによって復活し、二千年以上人類をたぶらかし続けたのだが……。

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