3.16.2016

煙草を愛する

禁煙というわけではないが、ここ数日自然と煙草を吸わなかった。

それが原因かわからないが、焦燥感、易怒、神経過敏、またその反対に感覚鈍磨のような症状。

私は煙草が好きである。おそらく煙草に対して、肯定的な効果しか認めていない。だから、今日慌てて吸ったくらいである。「そういえば、最近吸ってないな」……一本の煙草をつまみあげ、火をつける。視界に煙がいきわたる。煙を吸って、吐く。煙が踊る。呼吸という運動を再認識する。粘膜や肺胞から吸収されたニコチンが血流に乗って、血液脳関門を潜りぬけ、神経中枢にいきわたると、アタラクシアに到達した気分になる。つまり、平穏。この数分の時間が、たまらなく好きなのだ。

たかが数分だが、この時間があるとないとでは人格にだいぶ影響を与えるのではないかと思う。私は平常一日に一本も吸わないから、喫煙者といえるかは微妙だが、バイクに乗って遠くへ出かけるときは何本も吸う。とにかく、煙草がないと、私の人生はしっくりこないという気がする。「腑に落ちる」という表現があるが、煙草を吸っている数分で、いろんなことが腑に落ちるというように思う。これは「腑に落ちる」ときよりも、もっとずっと無意識的であるが。

筒井康隆御大は愛煙家であるが、氏の「創作の極意」において、煙草を創作にはよいものだとしている。いわく愛煙家はおもしろい、創作において有能だ、というような。嫌煙家のヒステリックな主張に対し、愛煙家も直情的に応酬を浴びせることが多いものだが、「創作の極意」においては、筒井氏はいたって冷静であり、煙草は不思議なことに、創作に役立つみたいだぞ、と純粋にその傾向を指摘している。私も御大と似た感想を抱く、愛煙家はよい人間が多いと思う。

WHOや先進諸国の政府では煙草を撲滅せんとしているらしいがバカバカしい話である。西洋医学的に見れば煙草は脳神経系の「ニコチン中毒」ということで「説明」「定義づけ」されてしまうが、煙草の持つ実際的効果については、彼らは底辺労働者の愛煙家以上に物を知らないはずである。

また健康であろうとして煙草を断とうとするのも無知ゆえの判断だと思う。もっとも気道や肺を傷める過度の喫煙については、それを見直すべきだが……。健康とは、そんなに至上命題なのだろうか。もちろん政府にとって、国民の健康管理は重要である。では個人にとっては?

どうでもいいことを書いた、もっと書くべきことがあるけども。

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