3.17.2016

奴隷制国家

田舎にも邪悪な人間と誠実な人間はいる。人間の弱さを知らない人は嫌いだ。

ひさしぶりに「ゼンヒガ(善悪の彼岸)」を読む。示唆に富んだ本である。ツァラトゥストラよりは意味がわかりやすい。最近ニーチェの思想と同化してきたのかわからないが、彼の言いたいことがわかるようになってきた。

しかし西洋ロマン主義的なものも愛する私は……ニーチェがそれとなく認めながら、たいていはこき下ろすメンデルスゾーンが好きである。かたくなに西洋キリスト主義を否定するのもどうかという気がする。

ともあれ、ニーチェが日本で人気なのは、日本という国では支配ー隷属の関係が有効だからだと思う。たとえば世界でもっとも有給休暇を取らない国民は日本人、またおそらくサービス残業にもっとも労働力をささげるのも日本人なのだが、この法的権利より義理感情を重んじる性質は、実のところ支配ー隷属である。

だから、ニーチェの言うように「奴隷制」は前時代的な野蛮な制度なのではなく、決して悪ではなく、実は進歩的である、文化を前進せしめるものであるという考え方は、日本人のこころをうつのである。なぜならばたいていのわれわれは、奴隷的であって、主人的ではないからである。

というのも民主主義とはかりそめのものだからである。やはりわれわれは父母より下であり、兄より下であり、上司より下であり、官僚より下であり、自民党より下であり、天皇より下である。

われわれ日本国民が主権を持って政治に参画したことがあっただろうか?選挙は何十回も行われたけど。また政治家はわれわれの代表だろうか?そうではない。しかし、そうでなくてはならないのか?

だれかが、日本はマフィア国家となることで世界を制する、というようなことを言っていて、私はその言葉がずっと頭に残っている。マフィア――法や権利などちんけなものは意に介さず、威圧と実力行使で他者を支配する存在。実際のところ、国内において日本的組織体系はそのような構図をとっている。日本人は、法律違反などどうでもいいと思っているし、また日本最大の営利企業はトヨタではなくて、実は山口組である。

実際、法律が効力を持ち、民主主義的な支配制度が確立したら、その国は混乱と衰弱を極めるのではないのだろうか。私にはどうもそう思われる。ゆえに、ニーチェの思想を継承したオルテガが考えたように、少数のエリート(受難の存在)が、大衆を牽引するという制度(いささか実力主義の寡頭制のような)の方が、ひとつの国家、億単位の人間を束ねる国家としては適正であると思うのであり、実際民主主義のふりをしながら、そういう体制を取っている国家は日本以外にもあるだろう。

ただし日本は敗戦国という事情があるのだから、ある程度は外国(アメリカ)の支配を甘んじて受け入れなければならないという事情があり……そのあたりの水面下の戦いは興味深いところである。

国家と国家の間は、個人と個人のようにはいかないらしい。そのあたり、通例のごとくマフィアの道理が通用するようである。


パソコンの壁紙を変えたら、とてもいい気分になった。どうもBoldiniが好きでしょうがない。あざといとは思いつつ。



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