3.22.2016

サイコパスに関する研究

今日も仕事が暇だったのでほとんど丸五時間くらい……「サイコパス」について調べていた。どうやら私に対して危害を加える人物は、この精神特性を持つようである。

サイコパスについて調べようと思うと、読む価値のない扇情的な記事や同名のアニメがあって調べにくいので、大学の論文を調べた。論文については、サイコパスを主題として扱うものは少なく、もっぱら動機内在主義などのような、現代哲学の道徳論における論争のツールとして使われているらしい。ただひととおり目を通した。論文を読むだけでなく、市販されてる中でもっとも学術的だろう書籍も買った。

その書籍の説明には「日本ではサイコパス研究はタブーだった」というようなことが書いてあった。なぜサイコパス研究がタブーなのか……本が届くまでは謎であるが、人格障害のなかでは例外的に社会中枢に適性があり、また実際に中枢に居座ることの多いタイプだから、できるだけ明るみに出したくなかったのかもしれない。

全世界的に「レプタリアン:爬虫類人」というオカルトあるいは陰謀論が流行っているが、このレプタリアンとはサイコパスのことだと思われる。サイコパスは欧米で「スーツを着た蛇」と表現されるように、非人間的で冷血動物的であることから、その暗示としてレプタリアンのような寓意的・神話的な形で流行るのだと思われる(ちなみに欧米でのサイコパスの人口比率はアジアにおけるよりずっと高い)。

あらゆる神話が子どもじみていて、非現実的、非合理的であり、それでいて一面では適切に現実を表現しているのは、古代から変わらない。このような神話体系は、いろいろな文化圏に見られる。例えば、今のいわゆる「ネトウヨ」による朝鮮人蔑視、近代のユダヤ人差別、中世の魔女狩りなどは、根底としては神話の要素を持ち、同根であると思われる。

これらの思想に共通するのは比較的類似した被害者意識、すなわち「善良で良識のある自己あるいは自己の属する集団が、狡猾な悪意ある人種によって迫害される、支配される」というような危機的な感情である。こういった感情は、一般的には妄想からくる「差別意識」として了解されやすい。もちろん「朝鮮人・ユダヤ人差別はよくない」ということはわかっている(私は朝鮮人にもユダヤ人にも特別の感情はない)……が、ここですべきことは、道徳的な断定ではなく心理学的な分析である。

私の実体験をもって考えるに、ある感情をもった人間に対するサイコパスの振る舞いは、紛れもなく「狡猾な悪意ある人種による迫害、支配」を意味している。そう考えると、比較的純粋あるいは単純な人びとの感覚は被害妄想的であるというよりは、むしろ現実のある婉曲した表現であることがわかってくる。

日常におけるサイコパスに対する怨恨が、歪んだ形でユダヤ人差別などの形で表れるのだと思われる。もっとも、ヒトラーもサイコパスだったという説もある(しかし私はヒトラーがサイコパスだったという説には、民主主義に懐疑的であると同様、懐疑的である)。

汝自身を知れということで、神経症ばかり調べていたが、かなり深刻な抑鬱にかかって、他者のことも少しは知らねばならぬ、と思った。神経症とサイコパスは、まるで逆である。私は自分のことを中立的に鑑みるに、人間的な情動が激しすぎるという気がする。

サイコパスは一般的に脳の器質的問題であるとされている。このことの意味は、サイコパスは現代の科学水準では治療不可能である。ゆえに、われわれがすべきことは、サイコパスを健常に引き戻すことはない(それは必ず失敗する)。われわれにできることは、サイコパスの厄災から可能な限り離れることでしかないと言えるだろう。

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