3.28.2016

雑感

一つの事実を発見すると、それを何にでも当てはめて試みようという幼児性は、相変わらずのようで、もう少し冷静に、判断してみたいと思いつつ、それにしても精神病院や刑務所ではなく――我々の社会に感情を持たない人間が潜んでいる、という事実は、いささかSFであり、ホラーであり、寓意的である。

そもそも私が精神病であるのに、他者の精神的障害をあげつらい、それを批判しようというのは滑稽であるが、同じ精神障害という枠組みであっても、たとえばサイコパスは鬱病や不安障害のような症状……(最近ではこれらの症状は海馬の過活動が原因と言われる)とは、いわば真逆の関係であると言えるだろう。

真逆どころか、我々にとってサイコパスは「天敵」であり、サイコパスにとっては我々は好餌、捕食の対象である。つまり私はこれまで散々に「食われて」きたのである。

ただ、その事実を知ったあとからは、私は本能的な、動物的嗅覚でもって、情動の欠如した人間を発見し、また彼らが社会のなかに組み込んだサイコパス的なシステム、支配や隷従のシステムを見極め、それを認識し、批判し、拒絶していこうと考えている。



ちなみに私の職場のサイコパスは、今月一杯でいなくなるようである。どのように仕事環境が変わっていくかはわからない。基本的に良くなるだろうと考えているが、もしかすれば、サイコパスの「有用性」というものもわかるかもしれない。適材適所……神経症の私にも、役割のようなものはあるだろうから。



それにしてもまったりした日々である。春の陽気さがそうさせるのかもしれない。

私の祖父が、亡くなったらしい。今日連絡があった。もともと、肺がんを患っていた。膵臓にも転移していたという。特に悲しくはならない。――人が死ぬのは自然なことだ。

私の祖父は、たいへん厳格な人物であったらしい。もともと地方の豪農の生まれであり、公務員でそれなりの地位まで昇った。昭和風の、威厳を持った人物である。そのおかげで、私の叔母などは家庭から逃げ出そうと必死だったようだが。

ただ私のなかでは寡黙なおじいちゃんであった。とにかく口数が少なかった。また表情にも乏しかったように思う。思春期のあたりから、どう接してよいかわからなくなって、それからあまり話していない。

春の暖かい時期に亡くなったことは、幸いだっただろう。たくさんの孫や曾孫が、葬儀にかけつけるだろう。幸福な人生を送っただろうと思う。

2 件のコメント:

  1. 社会的捕食者はサイコパスに限定されない。empathyを持つ捕食者も一定数存在する。これを先行者に倣い、理知的怪物と呼ぶ。サイコパスの捕食行動は本能的で、生まれ持った特性であるが、理知的怪物は成長の過程で後天的に捕食行動を選択肢に追加する。サイコパスは無邪気だが、理知的怪物は邪悪である。

    倫理や同情といったものは、絶対じゃない。場の条件によって一時的にディスカウントされることもある。あるヒトの中で反倫理的行動規範が膨張し、倫理を相対的に矮小化せしめ、結果として倫理を逸脱した行動に向かわせることがある。

    マーハーバーラタを読み返してみたまえ...かつて水魚の交わりだったPandava一族とKaurava一族を、相互の殺戮に駆り立てたものは、ヒトの倫理に優越する法・秩序・戦士階級の規範(ksatrya Dharma)でなくて何であろう?

    そして何より君の親しんだBhG...親族を皆殺しにすることを躊躇うArjunaを奮ったKrsnaの言葉は、何だったか。「体は衣服にすぎないから脱ぎ捨てよ」云々。近代的ではないにせよ、dharmaという当時の理性に基づいた説得である。この説得の結果、Arjunaの心中で一時的に失われていた戦士道徳が復活し、倫理の相対的矮小化が起こり、敵対する親族を皆殺しにできたというのが私の考えである。

    しかるに、道徳や同情心を持ち合わせていても、それらは絶対ではないがゆえに、一定の条件下では倫理から逸脱した行動が可能。論文など読む限りでは、psychpathsは「より高次の倫理規範・倫理理解を有する邪悪な人間」と区別されている。

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  2. 「分裂質の人が創造へ向う理由」の記事からブログへたどりつきました。納得する部分がありました。1日に一記事くらいずつじっくり読んでいこうと思います。考え続けること感じ続けることってしんどいですね。でもずっと続くのですよね、、こんなことくらいしか言えませんが。
    黒崎さんの文章からは誠実さと正気さがきちんと伝わってきます。精神バランスが崩れてしまっていることは黒崎さんのせいではないです。この知識と文章力、これからの旅での経験がいずれ人を救うことになるんでしょうね。
    おじい様のご冥福をお祈りします。



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