3.05.2016

恢復

少し精神的に危うい時期があったが今は回復した。

なんというべきか自分の激しやすい性格には自分でも驚く。平常私は冷静で感情を出さないと思われているらしい。が、何かつまづいたときには、とことん底までゆくか、極めて粗暴な行動に出る。

この攻撃性というか、たぶん溜め込んだ末の急激な発散なのだろうが、この前のトラックのミラーを殴って割ってみせたことにしても、私はそういった逸脱をしやすい性質らしい。

考えてみると、攻撃の対象が他者へ向かうか、自己へ向かうかの違いはあれど、フラストレーションの処理が苦手であると自分でも感じる。そもそもがストレス耐性が低いのである。それは神経質的なパーソナリティとほとんど同義なのだろう。

食欲は相変わらずでない。今日も菓子パンをひとつと、ポテトチップスを一袋しか食べていないが、それ以上何かを食べる気にならない。

酒はたくさん飲む。胃が弱っているのだろうか?しかし、顔つきは精悍になった。体重も2kgほど減っている。デトックス、断食、しばらく何も取り込まないで放出するだけで、毒気を払いたいのかもしれない。

ただそれ以外の生活はとくに問題がない。私は健康である。食べていた頃の方が、低血糖に悩まされていたと思う。今日もあたたかい日差しのなかをバイクで走った。

今日は中古のPCを買ったので環境を整えていた。いままでネットブック一台でなんとか所用を済ませていたが、初めてスペックのよいPCを買った。ディスプレイも解像度の高いものを。たしかに、快適に動くが私の用途ではほとんど無駄ではないかと思える。

ただ一台メインのパソコンがあるといろいろなことができそうではある。

新しい部署であるべき自分の立場というのも少し自覚してきた。ある程度余裕ができたら勤務中に読書することも可能だと思う。そうすれば少し理想的な生活だ。

読みたい本はたまっているが前より古典を読みたいとは思わなくなった。最近では古典中の古典であるソクラテスや孔子が、なんだか胡散臭く感じる。こうした権威的なものを否定すれば地盤を失うことになる。科学や倫理など現代信じられているものを否定することにもつながるからだ。あえてそういう危険をおかす人も少ないだろうと思う。それは健常と病気、理性と狂気の垣根を取り払うことである。

職場の環境は少しずつよくしていこうと思う。まあそれにしてもよく泣いた、数日前は。あれだけ泣いたのは生まれて初めてだったかもしれない。いや中学生のとき、神経症があまりにつらくて布団を噛んで泣いたことがあった。自分をボカボカと殴っていたときがあった。あのような時期が再来したのだろう。

自分の病的性質とうまく付き合っていかねばならない。病的な性質を忌々しく思うときもあれば感謝することもある。平凡な蓄群的なダスマン的な人間になることからともあれ引き離してくれるのは神経症だからである。私は不幸であることは間違いないがそういう運命を受け入れて歩まねばならないと思っている。




2 件のコメント:

  1. 「食」は単なるエネルギーの補給ではなく、食べ物から命をいただいて、そのエネルギーで自分の身体が作られているので、「命=食(エネルギー)」の質はとても重要です。精神面にも大きく影響します。「食」を見直すことで驚くほど身体に変化が出てきます。もっと自分の身体を勞ったほうがいい。

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  2. 食べた物で肉体はできています。
    脳も含め細胞の一つひとつ食べ物の情報をダウンロードしています。
    思考も食べ物で左右される、といっても過言ではないかもしれません。

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