3.07.2016

肥えた豚ほどよく眠る

この国の社会システムは、儒教的な上下関係で成り立っている。だから上位者である経営者は、労働者をいくら虐めても良いことになる。残業代を払わずに、ただで働かせて良い。嫌がらせやときに暴力を振るっても、それは悪いことではない。親が子どもを殴ってしつけるとしても、それは許容される。「先生は偉い」「親は偉い」。クラスメイトであっても、厳格な上下関係は存在するのであって、おもしろい話ができたり、勉強やスポーツのできる子どもが偉くなる。人間のあらゆる関係は上下関係的であり、それがためにこの国においては、個人は存在しなくなる。

個人主義とは、自分を個人として認めるとともに、他者を同様の個人として認めることである。だから自分に権利があるとすれば、相手にもあるべきであると考える。この個人主義から派生して、近代的な法の精神は生まれた。いわゆる「平等」の精神である。

ところでこの西洋精神の結晶とも言える「平等」を、一笑に付したのが他でもないニーチェである。ニーチェに言わせれば、平等の価値観は、奴隷根性ということである。ニーチェはキリスト教を奴隷の宗教だとしたことで有名だが、事実上はプラトニズムを攻撃・批判している。というのも、ニーチェはキリスト教を、大衆向けのプラトニズムと見なしているからである。

法とはruleであり、支配を意味する。いまでは切り離されているこの二語だが、本来は同一のものだと言えるだろう。法律は結局のところ、支配的な価値体系である。だからプラトニズムが支配的な世界においては、個人主義的な、民主主義的な法がruleする。

現実としては、日本はプラトニズムの伝播からうまく逃れているということができるだろう。なにしろ、表面的には人権や個人の権利を固守しているかのように見えるこの国では、内情では、まったく人権侵害もいいところの国だからである。天皇あるいは官僚を支配層とする上意下達の社会システムがまだ生きている。この点、思想的に支配されてしまったハワイ王国とは対照的である。

ところで私はまったく個人主義的であろうという人間であり、その点において日本においてはつまはじきものである。かといってプラトニズムに惹かれているかというと、そういうわけでもない。日本人だから、日本的な思想風土に満足する人もあれば、日本を「未熟な国家」として否定して、西洋に恋い焦がれる人もあるだろうが、私はそのどちらの道もないということになる。私がつね日頃感じているいいようのない不安とは、この思想的な基盤のなさであり、大地の消失である。人間は海の上で生きるということはできないものである。

1 件のコメント:

  1. いつも興味深い投稿・内面世界をありがとうございます。

    インド映画の「きっとうまくいーく」は高学歴エリート大学生の話でルールに縛られないこと、本当の自由てこうなんだ!覚醒してない学生の葛藤、、、という世界が描かれているように感じました。。
    スピルバーグも3回視たとのことでただ単に素晴らしい映画だから3回視たのでなく真実だから視たのだと思います。
    (支配者からすれば真実を大衆に知られたくないでしょうからね)

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