3.08.2016

弱者と強者

「もっとも弱い者も、もっとも強い者をいかに容易に殺せることか」ホッブズ
国家がどうのこうのということを考え始めてつぎには正義とはなにかを考え始めた。ゆえにそういった関連の本を読んでいる。カテゴリは法哲学。読むべき対象があるとはありがたいことだと思う。そこから何か得られると思うことは良いことだし、そうでなくとも、自分と同じような考えの人間がそこで表現をしているというだけでも、いくぶん気が楽になるものだ。

私の日常はずいぶんゆれ動いているように思う。この揺り動かしの前には長い沈黙があった。つまり書くべきことも見つからないし書く理由もなかったのである。また読書にも私は倦んでいた。つまり私は満足していた。日常や生活に不満がなかった。まあ健全な人間というのはああいった具合でのほほんと生きているのではないかと思う。それはそれで幸福である、幸福であれば法哲学など勉強しようとは思わないはずである。

私にとって哲学とは重要なテーマである。私はひとよりも生に肉薄しているのではないかと思う。ひとがまったく無意識に通り過ぎてしまう小石に私はつまづいて大けがをしてしまう。事実それは不便ではある。小石につまづく人間がいったい何を為せるというのだろうか。しかし同時に人が気づかずに通り過ぎてしまうような花や空にも感動することができる。とはいっても、ケガの痛みに比べればまったくわりに合わない「埋め合わせ」である。

だから私は人生にコケにされながらそういう自分をシニカルに認めながら生きることが強要されるわけだ。私は神経症だが、なんども自分を健常者と思い込んで、あげく失望する、ということを繰り返している。私はこの上昇と転落を一生続けるのだと思う。この動的であることがまあパスカル流にいえば人間らしさと言えるのかもしれない。

1 件のコメント:

  1.  王とは虐げられる民にとっては、憎しみの権化になります。日本人が求める「普通」とは、経済的にも地位的にも適度に充足し、他者からの批判や不満を受け止める「責任」も回避するという姿勢です。
     近年のテロリストなども「普通」という隠れ蓑にその実態を隠し、着々と勢力を拡大しています。アノニマスとは「匿名」という意味であるそうです。つまり、強者と弱者とは客観的にそうであるという点において、その逆転する可能性も含めて、極めて「弱い」立場なのではないかと考えています。むしろ強大な能力や思想を持っていながら、普通という隠れ蓑にこもって期を伺っている層のほうが恐ろしく感じます。

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