3.20.2016

They were wrong

夜中の二時に、起きてしまって、起きてしまった自分を確認しながら、「これは鬱病の症候ではない」と自分を納得させてみたが、そう思わなければいけないくらいなのだから、せめて抑鬱状態とまでは認めてもいいだろう。

最近は精神的に不安定で、まあ安定した試しなどほとんどないのだが、それにしてもひどい抑鬱の症状がなんどか現れている。憂鬱というレベルではなく、だれもいないところで涙をぼろぼろ流したり、大声をあげたくなるような、ひどい悲哀感で、自分でも驚くほどだし、人がいるところであっても、ほとんど会話をする気にならず、動きは緩慢鈍重であり、視界は色を失い、味覚も灰色であり、胃がからっぽのはずなのに食欲が湧かず。

まあ数日で収まるのだが、これがひどい大うつ状態にならないかと、いくぶんかの危惧はしている、なにしろ私は一人暮らしであり、頼れる人間もなく、傷病には不利である。自殺はまだしたくないが、この前、ひどい憂鬱のあいだ、麻縄が自分の首に回るのを想像して、その感触、痛み、暗さにぞっとした。そのようなイメージ像を持ったことが、この生涯においてなかったから、自分もいよいよここまできたものか、と妙に感心したくらいだ。

中学生のときから、ひどい抑圧と思春期特有の不安定から抑鬱に沈むことは茶飯事だったし、大学のときでも、理不尽な扱いを受けて、それを認めなければいけないときは、一人朝まで泣くことはあった。ただこのおっさんの年頃になって、こうまで過敏であるというのは、想像してなかったし、しょうがないのか、諦めるべきなのか。

それでも、私という主体が、間違っているという自覚は、あまりないのが、少しの救いかもしれない。私はいろんな本を読んだから、人間関係のスキルは育たなかったけど、いくぶんかの真理に近いことは学んでいる。それは私という主体は、つねに正しいということであり、間違っているのは他者、あるいは構造であるということである(異邦人のムルソーのように)。

だから、私は自分が苦境に陥っているときでも、自分がなにか失敗したとか、自分の人格欠陥や認識の誤りだとか、とにかく自分が悪いとは思わない。

おおむね、私の不幸や憂鬱は、ある種の人間とのかかわりによって生じる。このような人間は、私とは根っこの部分で合わない……どころか真向から対立するタイプであり、私はだれか知人がこの種の人間だと知ったら、少なくとも5m以内には近寄らないようにする、視界に入らないようにする、声が耳に入らないようにする。

考えてみると、かつての憂鬱はすべてこの種の人間から生じていた、私は苦々しい気持ちで、それらの人間の顔を思い浮かべることができる。

その種の人間は、端的に言えばサイコパスであり、共感能力の欠如、感受性の欠落、独断的、二重人格的、饒舌で八方美人、他者を自分の都合の良いようにコントロールしようとする、他者を隷属化しようとする、そのような性質の人間であり、単純に言えば「いじめっ子」と言ってもいいかもしれない。

私とはっきり違うのは、彼らが「つるむ」ことが好きであり、社交に楽しみを見出しており、冷酷であり、仕事において有能であり、おおむね社会的地位が高いことであり、表面的には円満な家庭を築いていることであり、文学や音楽や絵画など芸術一般にまったく興味がないことであり……この手の人間と関わると、私はろくなことがないようである。

だからこのような手合いとは、半径5mの決まりを厳守するように、本能的あるいは意識的に心がけていた。大学は楽だった、そういう人間と関わらないことが可能だし、遠くで見つけても、目をふせてイヤホンをつければ存在を消すことができたからだ。しかし大学でも、そういう人間がなにか担当の教員だったり、部活の先輩だったりすると、関わることを強制され、それで精神を痛めた。

この「離れられない」という状況に置かれると、いまのような抑鬱状態に陥るのであり、いまだって、新しい部署の上司がそういう人間だから(私はまんまと騙されていた!)、憂鬱に陥っているというわけだ。
人間らしさとは、距離を保つことができるということなのだ。ぼくから距離をとってくれ、そうでなければぼくは死ぬ、それとも殺す、それとも自分を殺す。距離なんだ、頼むよ!(三十歳/インゲボルク・バッハマン)
離れられるということ、ひとがひとを支配不可能であること、そのような社会になればよいのにと思う。

わたしの憂鬱は、サイコパスの人間が運んできてくれるらしく、そのおかげで、彼らは表面的には幸福な人生を歩んでいるけども(なにしろ表面的、目に見えるところの整備ということが彼らの生活本能なのだ)、彼らも根源的には不幸であると思うし、彼らは間違っているし、私はつねに正しいという点では揺るがない。



夜中の3時、完全に目が覚めてしまったので、朝までゲームをして、それから朝一番で温泉にでも行こうと思う。


4 件のコメント:

  1. みんな常にエネルギーの奪い合いをしている。関わりたくない輩からせめてエネルギーだけは奪われないよう、自分の考えを調整すべきだ。逆に相手からエネルギーを奪うくらいに。日本人は優しすぎる。それくらいの強さがなければ、海外に行くなんて危険極まりない。応援してます。

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  2. カーマスワーミ的な小児人に運悪しくも出会ったら、まず彼らの足として有能に働き、次には彼らの胴となり、そして両腕となって、最後には頭の役割を担え。そしてやっと小児人たちは立場が逆転したことに気づき、今度は君が彼らに高貴さとは何かを教えてやる番だ。しかし、君自身が小児人ミイラになる前に速やかに海外に脱出すること!

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  3. はじめまして、ときどきこちらのブログを拝見している者です。支配される感覚、相手にとりこまれる感覚は、我慢して苦しめば苦しむほど、意図せず頭に心に植えついてしまうように思います(というのも自分が今そのことに苦しんでいるのですが…)貴方の精神は素晴らしいのですから、どうかこれからも自分自身の感受性を大切に、生きてください。

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  4. サイコパスというか体育会系なだけじゃない?

    自分の理解できない相手を一方的にレッテル張りするのは危険でしょ。

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