4.15.2016

悪2

バタイユの「文学と悪」が届いた。100ページほど読んだが(勤務中)、私の求めていたものではなかった。バタイユにとっての「悪」はキリスト主義の域を超えていなかった。

バタイユはまだ存命だと思ったがもう没後半世紀以上経っている。なんだかすごく文章が現代的な雰囲気。先駆的だったということだろう。しかしバタイユについては、「エロティシズム」とか、「眼球譚」とか読んだけど、あまりピンとこないという気がする。フランスの現代思想は、あまり響いてこない。

フランスという国は文化大国としてのスノビズムがある気がする。知性あるものが偉い。そういう点では日本と対照的だけれども、おかげで衒学的な作品が多くなっている(もちろん「ホンモノ」の書籍もある)。科学だろうと哲学だろうと需要があるから供給されるわけで、バタイユばかり責めるわけにはいかないが。

とにかく「文学と悪」が期待はずれだったので、少し欲求不満気味である。サイコパスという知見があって、それを踏まえて哲学をしている人はあるのだろうか?精神病理は哲学と極めて密接だけれども、みな統合失調症とか神経症にばかり目を向けている。サイコパスを基軸にした哲学はないのか。

ニーチェの言ったことは、人間の肯定であり、生の肯定である。これは数々の学者の指摘通り、ニーチェ固有の主張というよりは、反キリスト主義の域を出ていないが、それでも意義深い主張だと思う。われわれは人間である。地上に立つ人間である。天空を目指す必要はない。死後を想う必要はない。大地を愛せ。この生を愛せ。これがニーチェの主張である。

私たちが自己を憎み自己を罰しようと想うのはなぜか。それは西洋を支配している罪の意識ではないか。

私たちは、ときに不本意な悪行をすることがある。ある貧者が、おなじように貧しい者から、パンを奪った。私たちには彼を責めることができるのだろうか?彼は盗みをなぜ働いたのか。なぜ彼は貧しいのか。こういう風に考えることはできないのか。

私たちの、富や快楽や友情、おおまかに言って「幸福」は、どこにもっていかれているのか。こう考えるときに、キリスト主義は害悪である。ほんとうの認識を妨げ、思考を奪うから。同様にほとんどの宗教も害悪だろう。

悪が何によってもたらされるか。この点を明らかにしたいと思って数週間が経つが、参考になる書籍も何もない。次はローレンツの「攻撃」を読んでみようと思うが……。気になった本は何でも買えるということが、社会人になってからの強みである。

本来的に、悪を記述することは意識的/無意識的にタブーなのかもしれない。だからこそ、文学という形を取らなければならないのかもしれない。文学、それはたいていの人には恐ろしく退屈な代物である。一方で、それに夢中になり、人生の大半をそれに費やす人がいる。その意味では聖書や教典と同じである。

悪とはなにか。もっと肉的に言えば、「私を苦しめる者は何者か?」。もう少し調べてみたい。

2 件のコメント:

  1.  悪とは何かということについて考えてみると悪とは「破壊や憎悪の感情を呼び起こさせるもの」という風に考えました。大きすぎる力、例えば自然災害や戦争などは、悪と呼ぶにはあまりにも大きすぎて、破壊や憎悪の感情を呼び起こしません。その意味では悪とは呼べないのではないでしょうか?悪とは、非常に厄介ではあるものの、被害の規模という意味では、非常に限定的である意味ささやかなものであるように考えられます。

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  2. 『ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』

    『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』

    マイスターエックハルト
    http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985462

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