4.20.2016

フォーエバー・ホスト上司

ホスト上司は

私が著述家や思想家を除けばほとんど生まれて初めて尊敬する人物だったのだが、彼が今日は突然職場に顔を見せなくなっていた。もともと「辞めたい」とは言っていたが、辞めるとしても七月までと聞いていた。そのおかげで、今日はまったく忙殺された。

仕事が終わる頃になって、オーナーから話を聞いたところ、彼は突然出社を拒否し、部屋からも出ず、電話などしても彼の家族が出るだけだったという。そうして、彼の家族はこういうのだ。「彼は入院します。なので辞めます」。オーナーはそのことを憎々しげに言っていた。「(七月で辞めるという)約束を守らないとは最低の奴だ」。私は、頭がくらくらする思いだった。

私は、ひとりの人間が潰れたのだと思った。

私には、彼の気持ちがよくわかった。彼は働きすぎるくらいに働いていたから。その割には、待遇は惨めなものだった。彼は経営者側と仲が悪かった。サービス残業が常態化している職場を、改善しようと働きかけていたからである。「黒崎くんは、よく辞めずにはたらいているね」とよく酔ったホスト上司は言っていたものだった。

それに、彼の知性は、彼のおかれてる状況が痛いほどわかっていただろう。奴隷は、どれだけ苦しめられようと、そのことを誇りに感じたり、そのことを快感だと錯誤することによって――つまり感覚を狂わせたり、蒙昧になることによって、耐え忍ぶ。環境に対する適応のひとつである。もともと日本では情操教育の効果によって、奴隷化している群衆は多いのだが。

しかし、ホスト上司のように物事の道理を心得ているひとは、どのような境遇に置かれようとも、自己に対する誇りと憐憫、そして悪に対する憎悪とは、決して忘れないものなのである。ゆえに、私は上司の「殻にこもる」判断は自然であり、強力であると感じていた。彼は自己を守る、実に適切な手段として、殻を閉ざした。それは傍目には、彼が「潰された」ように見えるのかもしれない。しかし、彼の自閉は、彼の生きようとする意志の、純粋な自然の本能によるものであり、その意味では、強固な、能動的な、人間の美しい本能であると私は感じた。

彼は、強いのである。彼は強い。私の知る人間のなかで、もっとも強い人だった。よくがんばったと思う。

私はニーチェの言った言葉を思い出した。「強者を弱者から守らなければならない」。

私は、他人のために涙を流すことはほとんどないのだが。私が、愛情を発露するなど、きわめて稀なのだが。私は、彼の連絡先を知らない。労ってやりたいと思うが、職場のことなど忘れたいだろうから、そっとしておく。

私は、オーナーの言葉……「最低の奴だ」を聞いて、いろいろ吹っ切れてしまった。このキチガイは、何を言っているのだろうと、くらくらしたのである。この動物は、私と同じ生き物なのか?このネズミ以下の下等動物のもとで、私は汗水たらさねばならないのか?(というのも、ネズミにも共感能力はあるので)「サイコパスからは、離れなければならない」。これが、私の忘れてはならない処世術である。現実には、このような人間が、我々を支配して、我々から搾取しているのだろうと思った。

世界一周がそこそこ贅沢にできる資金、現金で300万円ほど貯め込んだので、そろそろ仕事を辞めてしまおうと思う。こんな会社に未練はない。経営者側が労働契約を違反しているので、即日辞めても賠償責任など問われないのだが、それなりに金をもらっているのだから、数週間はいて「あげよう」と思う。

もっとも、私は臆病な性格なので、しばらくは辞意を言い出せないだろうけど。


1 件のコメント:

  1. やっとこの時が来たと読んでいて嬉しくなった。これからが楽しみ。

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