4.07.2016

スケープ・ゴート

部署にいたサイコパスがいなくなってから、私はどうなったかというと?

なぜだか、私は職場で悪者にされているらしかった。いわく私には、責任感が欠けており、協調性がなく、勤労意欲がないということだった。その訴えは、職場の同僚から上司に通告されたらしかった。たしかに、職場で同僚がばたばたしているときも、ニーチェを読んでいたりしていた。なぜなら仕事の指示がなかったから。あとは憂鬱が耐えられないときは、ぼんやり手の平を見つめたりしていた。

私はこのことを、やはり無責任にとらえている。私は賃金労働者であり、雇用契約書に結ばれた以上のことをしようとはしなかった。私は仕事が与えられなければ、待機時間として、暇をつぶしていた。

それでも私は、言っておくが、入社以来忌引き以外の休みを取ったことはないし、早退はゼロ、遅刻も数分程度が数回、といった具合である。仕事の指示はほぼ忠実に遂行したし、バートルビーのように「せずにすめばありがたいのですが」とやんわりと拒絶することはなかった。まずまじめな勤務態度といって問題ないはずである。

私は彼らが向ける私への憎悪はどこからきているのか、知ろうと思った。また、彼らが身を粉にして働き(働かされ)、魂と生活と人格を捧げ、そのことは勝手だが、その理不尽さを経営者や管理職ではなく、私に向けるのはなぜだろう、と思った。

彼らはなぜ「そうせずにはいられない」のか?という点を調べていくと、私は経営者でもなく、現在の国家でもなく、その原因が明治政府にあることをそれとなく突きとめた。日本人が勤勉な人間に「教化」されたのは明治政府の政策によるところが大きい。それまでの日本人は、多くの外国人やいまの私と同様、ぐーたらだったのである。

だから、残業代も出ないのにモーレツに働いている人間がいるとして――私はほとんど18時に帰っているのだが――私に憎悪を向けるのはまず間違っていると彼らに教えてあげたい。少なくとも君たちが苦しんでいるのは、私が仕事をしないからではなく、管理職の仕事の分配がおかしいこと、経営者が君たちの労働力を搾取していること、国家が君らの隷従を黙認あるいは推奨していること、さらにもっといえば、「勤勉」を教化した明治政府にあるのだ、と教え諭したいのだが、経営者がどうこうはともかく、「明治政府」なんて言葉を出したら狂人のように思われるだろうからやめた。私はぼんやり黙っているだけだった。

知識もある程度概念が統合されてくると、ほとんど詩的表現や狂気と変わらなくなってくる。だから知識人、というか、知への愛好がある人は、なにか意思表現をしようというときには、ひどくどもらなければならない。高度の知が秘密になっていく原因には、まず羞恥があるのである。

しかし教養がないとは残念なもので、目の前の「都合のいい」敵を作り上げ、それを血祭りにあげることで、みなが溜飲を下げるということがままある。ユダヤ人虐殺にもっとも情熱をささげたのは中産階級の下層である。こういう人々はほとんど目の開ききっていない子どもと同じである。

この会社組織は、つねに敵を探しているように思われる。だれもが不当な搾取に、心を削られている。代償を求めている。そこでより弱い人間、より「都合のいい」人間、というわけである。もっと、広く、自分を苦しめている原因がなにか、彼らは探ろうとしないのだろうか?

私は今後どうしたらいいのかわからない。嫌になれば辞めればよい、とは考えている。もし私が矢面に立つことがあれば、私は自分の正当性を主張しなければならないだろうが、裁判官を前にしたムルソーのような「不条理」な弁論になることは目に見えている。私にはムルソーの主張こそ真理そのものなのだが。

疲れ切ってしまう前に、辞めてしまいたいとは考えている。貯えは十分にあるから、首になるなら楽なのだが、経営者はどうもそうは考えていないらしい。


私はなんとなく、前のサイコパスの振りまいた毒素によって、彼女が退職したあとも、その感染者に攻撃されているような気がする。サイコパスという生き物は、一度かみついた対象は、骨まで砕いてやりたいのかもしれない。悪の発生源は、一度なくなったのだから、時間が解決してくれるだろう、となんとなく思っている。

2 件のコメント:

  1. 「明治政府」の考え方をひらいて、その折り目を丁寧にのばしてやり、広げてみれば、おのずとIslamic stateなどになぜイスラム教原理主義と関係のない分子が参入するのか、また、様々な問題-ジェンダー、同性愛、新興宗教など――現代に顕著な問題が生じてくる地平を把握できると思います。現象学や解釈学の領域の話なのですが、木村敏の考え方はおそらくこの点をふまえたものであるはずです。

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  2. 頭の回転、決断が早く、口も、人を使うのも上手い。仕事もずば抜けてできて、容姿端麗で何事においてもスマートで女性にももてる。同情を買うのも甘えるのも上手。最初は人格者だと思いました。でも、何を成しても満たされない思いを抱えていて、女性に対する感情は愛情ではなく執着。自分ではその違いをわかっていない。真剣に向き合っていたら自分がぼろぼろになってしまいましたが、サイコパスと呼ばれるような人も可哀想だな、と思いました。たぶん、人の痛みを感じられないのだから安らぎの感情も得ることができないのだろうな。

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