5.11.2016

旅の計画

旅について、いろいろ考えている。ふつうの旅にはしたくないが、日常からかけ離れたような旅にするのも好ましくない。考えているのは、旅と生活の融和をテーマにして、遊牧民のように、生活を営みつつ旅をする――つまり、旅を限局的な切り離された非日常にするのではなく、生活それ自体にしてしまうという実験を考えている。

もともと、仕事を辞めたら読書をするか、旅をするか迷っていた。実家の畑に小屋でも立てて、そこに引きこもり読書をする。それか、海外をバイクで半年~一年ほど巡る。どちらも魅力的で迷っていた。私の脳も老化が始まっていて、旅を経験しなければ腐るし、本を読まなくてもダメになるだろうという気がしているのである。もっと早くに自由になる金銭が得られればよかったのだが、中流階級の私には自分で稼ぐしかなかったのである。

この「旅か書か」というジレンマで長く悩んだが、旅をしながらも読書を続けるというスタイルにしようと考えた。これは私の一級の発明だと言えなくもない。なんせ、今は電子書籍というものがあるのである。これさえあれば、海外において日本語の本に不自由するということがない。世界中で、いくらでも日本語の本が読めるのである。私はこの事実に気づいたときに、喜び小躍りしそうになった。

そういうわけだから、旅のスタイルとしては、「晴走雨読」……とはつまらない洒落だが、晴れた日はバイクで「旅」をし、雨の日はホテルに籠って本を読むというようにしようと思う。旅というほど何かに縛られるわけではないし、生活というほど単なるルーチンというわけでもないような……急ぐわけではなし、ときには旅の事柄を書物と関連付けて……書物におけるロゴス的な世界と、旅におけるカオス的な世界を折衷し和解させていくような、そういう旅にできれば良いと考えている。

ロシア旅行へ行ったバイク乗りのブログを読んでいて、曇りや雨の日のバイク移動は、たいへん惨めで、辛く、陰鬱であることを知った。そも、日本にいるときだって、雨の日にバイクなど乗るものではないと私は思っている(ほとんどのライダー同様)。もちろん旅が陰鬱であってはいけないということではない。それから得られるものもあるだろう。ただ、そこに停留する「意義」と、加えて時間的余裕があるならば、特段雨の日に移動する意味はないと考える。私の場合は、ホテルから散歩したり、写真を撮ったり、屋台で飯を食ったり、電子書籍を読むというふうに、ぶらぶらと書生的な生活をしてみたいと思っている。実際のところ、「弾丸ツーリング」というように、走って走って走りぬくという旅よりも、ある気ままさ、いろんなしがらみからの自由さを愉しみたいと思っている。

そういうわけで、まだ行先も決まってはいないのだが、ある程度の旅の骨子はできあがったというわけである。この旅には、たぶん何百万円かの金がかかる予定だが、それ以上の収穫はありそうである。

1 件のコメント:

  1. 退社も旅立ちも、必然的にベストなタイミングでやってくるんだろうな。最高に良いお金の使い方だと思う。「知恵と勇気」ほんとその通り。自分はまだ旅の経験がないので、なんかワクワクします。

    返信削除