5.17.2016

世界システム

ウォーラーステインを読んでいろいろ感じることがあった。

ひとつに、文学だとか、芸術領域においても、システムを避けることは不可能であるということ。インターステイトというシステムに貢献する人間でないと、「成功者」にはなれない。国家間の不断の競争は、芸術や科学を手放しにはしないということ。つまり、芸術にも、国家の保全だとか、国際的競争力というものがたぶんに求められるということだ。

例えば夏目漱石が現代に続く国家的名誉を授かったのは、「近代化」を庶民に推し進めたことによる。小説というひとつの発明によって、われわれは、近代的自我を持つに至った。それは歴史的断絶による痛みと不幸を伴ったが、民主化とか、国力増大には必要なことだった。

またアメリカでは冷戦時代、抽象絵画のブームがあったが、それはCIAが工作によって、ブームを意図的に起こしたのである。これは公的な文書で明らかになっていることだが、ようはソ連に比べて米国は自由で先進的であるというアッピールのために、つまり宣伝広告、国威発揚を目的として、芸術が利用されたのである。

このように、芸術が国家的システムを逃れるということはほとんど例外的であるように思われる。

インターステイトシステムとは、単純に言えば、国家間のランク付けである。軍事力や経済力で、われわれはつねにこの均衡のなかで競争に追われている。この意味で、日本の企業がブラック化する実情も、とくべつ経営者が強欲だからというわけでもなく、国家的必要、国家的犠牲であるという説明ができるかもしれない。

ウォーラーステインの述べたように、「システム以前」の国家が特別貧しいようには思われない。例えばわれわれは科学などの先端技術で「裕福」に暮らしているようだが、その代わりに生活は過重な労働に蹂躙され、精神病に苦しむという現実がある。そもそも、科学はわれわれに眼力と恩恵をもたらしたことは事実であるが、その分失われた知識はあったのではないか?ウォーラーステインは、現代の最先端の科学が、3~4世紀の仮説を認めるに至った例をあげている。

ウォーラーステインが一貫して否定しているのは、「進歩」の幻想であり、また一貫して述べていることは、このシステムが近いうちに破綻するということである。その次の時代はどうなるのか。「史的システムとしての資本主義」には、あまり具体的には述べられていなかった。

日常のことをふり返ってみても、私の周りの「エリート」が情熱を捧げている仕事は、すべて近因遠因的に「国家の維持」を目指していることがわかる。単なる金儲け主義に見えても、結局はそうなのである。たびたび見られるように、国家は中小を見殺しにし、大企業を庇護しようとするのだが、それは私欲のためではない。国体の維持という目的の前では、超法規的な手段に頼らざるを得ないのである。

インターステイトシステムという視点から、国内外の出来事を観察すると、違った見方ができておもしろい。

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