5.07.2016

People of the lie

共感と興奮をもって五時間あまりで読んだ本がある。M・スコット・ペックの「平気で嘘をつく人たち」という本。……このPHP文庫のようなタイトルさえなければ、もっと早くに手をつけていただろう。

この本は科学が「悪」に正面から向き合った、画期的な本ということができると思う。サイコパスに関する論文を読むと、この1983年にアメリカで出版された本をサイコパス研究の端緒とする学者は多いようである(ただ、本文中に「サイコパス」という言葉は存在せず、)。

ペックは現在の私と同じように、宗教や科学をいたずらに分離せずに、総合的な知を武器にして悪の分析に取り組んでいたことがわかる。ただ彼は精神分析医であるから、遺伝学・生物学・行動科学的な分析をしたジェームズ・ブレアらの最近の著書である「サイコパス -冷淡な脳-」に比べると、いささか相反する部分も多い。

たとえばペックの著書においてはたびたび、善と悪を数量的に捉えている部分が見られる。つまり、われわれは善と悪とのふたつの極点の間にあるのであり、邪悪な人間は悪の方により近い、と考える見方が読んでとれる。つまり、われわれが怠惰や欺瞞などの悪への性向を持つと、われわれ自身も邪悪化しかねないような描写がある。

一方でブレアらの書では、サイコパスと健常者の連続性を否定している。これは、悪を量的指標ではなく、質的に区分することにより証明している。つまり、反応的攻撃と道具的攻撃の区分によって、一般的に悪とみなされる行動の区分を行っているのである。反応的攻撃は、哺乳類のすべての種に見られる行動である。一方で、道具的攻撃は人間のなかではサイコパスにしか見られない。

またブレアらは、サイコパスの病理の大部分を遺伝的、すなわち先天的な要因に求めている。このことの意味は、健常者がいくら劣悪な環境に生まれ育とうが、サイコパス(ペックの言葉では「邪悪な人間」)には成りえないということである。彼らがまったく極悪非道の犯罪に手を染めようとも、彼らはあいかわらず良心を持ち続けているということである(つまり「平気で~」の一章で描かれた人間は、サイコパスにはならない)。

またペックは「邪悪な人間」にときおり自閉的・神経症的・精神分裂的な傾向を見て取るが、神経学的にはサイコパスと正反対であることがブレアらの書で指摘されている。つまり海馬が過活動するのが神経症や自閉症であるが、サイコパスでは海馬が過沈静であるということが明らかになっている。

もっとも最新のサイコパス研究をまとめたブレアらの書と、ペックの本を比べるのは酷という感じはする。ただ、ペックの望んだとおりに科学は進歩しており、悪を適切に定義し描写するという作業は、現在も続いているのだと感じ入る。

ペックの精神分析の記述から見てとれるが、サイコパスの治療は現在の科学では治療不可能である。ペックは希望的に「邪悪な人間」を「病気」としている。いつかは治療可能になればよいと願ってのことである。

サイコパスが治療可能な病気になれば、それはすばらしいことである。そんな世の中では、戦争も起きず、抗うつ剤も不要となり、支配と隷従もなく、協調と信頼を持った世界になるのかもしれない。ようはそれは、善と悪との戦いの終結を意味するのだから。

1 件のコメント:

  1. サイコパスは、(反社会性パーソナリティ障害を持つ人)他者を変容させ、巻き込み葛藤解決を行います。自我親和的であるため、本人に苦痛や違和感がもたらされず、治療的変化を本人自身が求めないようです。自分が病気であるという自覚がなければ、他者を傷つけていることに気付いていなければ、病院へなど行きません。まずは家族や周囲が指摘できるということが大切だと思います。治療法としては、認知行動療法や社会生活技技能訓練などがあります。
    パーソナリティ障害の発症要因は、医学的にまだ見いだされていません。生物学的気質と、成育過程における環境的要因だろうといわれています。
    サイコパスが頭脳明晰で表面的な社会性がある場合、ほとんど治療は望めないと思います。実際、経営者など、上に立つ者がサイコパスの傾向を持つことは多いようです。 s.k

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