7.16.2016

山の生活

現在の私は田舎のサラリーマンである。それで冴えない人生を送っている。かつて私は自分は有名な人間になるのだと思っていた。自分の才能が世間に認められると考えていた。しかしそれは誤りであるように感じた。私はいわゆる名誉にあまり魅力を感じなくなった。たとえば高名な寺よりも通りすがりの野花に神の存在を感じることがある。名が知れているから良いとは限らないし、偉い人間はだいたい悪い人である。

柳田の「山の人生」など読んでいると世間への怒りや嫌悪がつもり山へ隠遁する人間もあったらしい。近世には意外とこういう人生もあったのだと柳田は指摘している。彼らはたいてい虫や生肉を喰らい、全裸であることが多く、世人には天狗だ山姥だと恐れられたものだが、「彼らに知性があるとすれば仙人そのもの」の生活だと柳田は表現している。もっとも気狂いになって山から降りてこない例もたくさんあったらしい。

ロバート・パーシグの「禅とオートバイ修理技術」という昔流行った本でも、ある哲学教授が知性を極めたときにだれも踏み込まない野山でしばらく過ごしたとある。西洋人でも仙人化するのであり、いわゆる天才の類がみな山の高みの空気を求めるのは不思議なことである。ニーチェもまた「天才の成立は乾燥した空気や澄み切った空を条件としている」という。「山の人生」があれば「森の生活」もある。

人間の集まる都会では空気は濁りまた汗や糞尿で湿っぽくなるものである、知性はそういった空間を嫌うのかもしれない。田舎で私は暮らしているがもう都会へは戻ろうとは思わない。都会の華やかな生活――そういう人生はなにか他人事に思える。またいくらか作り物で脆弱に思われる。ほんとうの生活には思われないのである。
「肩をそびやかしてへつらい笑うのは、真夏の炎天下に田畑を耕すよりも疲れる」 
それで「宗教以前」という本を読んでいると田舎は遅れており都会が先進的であるというのは近代以降の話でありかつては田舎の方がかえって栄え田舎に京あり/山に里ありということもあったらしい。
われわれは山村というと、つねに社会文化の発展に遅れた後進地とみなし、そこに伝承されている習俗はすべて古風を残すものと考えやすい。けれども、これは現在の常識を無反省に過去に投影するものであって、はなはだ危険な態度である。近代以前にあっては、山間の村落でも平地に負けないほど人の往来があり、手工業原料を山野で採集したり生産して、貨幣の流通も平地に負けないくらいであった。平地の村と山の村との落差が顕著になったのは近世以降のことで、近代になってそれが決定的なものになった。
ただまあ近代以降になれば田舎はしょせん田舎ということになり、都会に若者が流れていき「限界集落」などと言われることもあったが、かつては京よりもかえって都会であることもあったのである。こうした近代の方が自然のように思われるがどうだろうか。いたずらに近代以前を理想化するのではないけど近代以前の人間がどうだったのかはだいぶ気になることである。それで「宗教以前」にはこういう記述もあった。
するどい洞察力で知られた東洋史学者、内藤湖南の名言の一つに、日本の歴史は応仁の乱以後を考えればよい、というのがある。古代・中世から近世へは、まさしくそれほどの大変動であった。社会構造そのものが、古代・中世の「点と線」の社会から近世の「面」の社会に変わったのである。
人間の精神など時代によって容易に変わってしまう。まあ時代精神と言ってもよいが、現今の民主主義だのグローバリズムだのも明日には滅びさっていくと思う。もうパラダイムシフトの兆候は出ている。アメリカとイスラム国のどちらが正しいのかわからない。しかしどちらのふるまいも愚かに思われる。叫び声のあがるところに良い認識はない。結局変わらないのは諸行無常という事実であると思う。


1 件のコメント:

  1. 何故ここに辿り着いたのか、「禅とオートバイ・・・」絡みかもしれません。野宿、読んでいる本、自分探さし、いずれも惹きつけられたのでコメントします。ニーチェの「天才の成立は乾燥した空気や澄み切った空を条件としている」という一節、そして「森の生活」、「アメリカとイスラム国のどちらが正しいのかわからない」という貴方の現実、私もオーストラリア大陸を半年かけてバイクでほぼ2万キロの旅をしましたが、偶発的とも言うべき豪雨と雹を除けば晴れの日が90%、やはり自分が健全だと思えたのは「湿度10%・30度」の青空の世界でした。45度を超えたこともありましたが、湿度が低いだけに肌から塩を吹くだけで元気に(?)アパートに帰ってきました。ネット上で徘徊していてこのようなことを書くことは滅多にないのですが、私もバイク乗り、東北の田舎で暮らしているのでコメントしたくなりました。天才とは、あるいは世界を変えるとしたら、貴方のような方を除いて考えられない、と感じましたのでコメントしました。

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