7.30.2016

血の導き

最近は毎日のようにSと遊んでいる。私は女が女を発現するときにもっとも美しいと思っている。だから女特有のやさしさとか、あたたかさとか、すこしの愚かしさ、するどい嗅覚に触れると、私はとても嬉しくなる。ももの感触とか、胸のふくらみとか、やわらかな髪、くちびるの感触。

Sは処女ではないし、むしろ経験はたくさんあるのだろうが、私はそのことがあまり気にならない。Sの昔の男の話を聞いても、嫉妬の感情などはあまりわかない。そのようなことを、女は本当は語りたいものだと思う。かつて寝た男たちは、現在の女を構成するひとつの要素でもある。だから、それはべつに隠すことでもないと思う。

世間には、女に処女性を求める人があるかもしれないが、私は処女を守る女など嫌いである。なんだか根拠薄弱で、バカバカしいからである。結局のところ、「やまとなでしこ」のような貞淑な女というイメージは、明治以降、家父長制の広まる近代以降の日本のエセ伝統であって、せいぜい100年近くのものでしかない。家父長制は貴族や武士家系には伝統的に存在したのだろうが、そういった上流階級を除けば、夫と妻は対等であった。

それだから、「おぼこ」を求める男というのは、支配欲や権力欲の強い男なのだと思う。性的関係において、自分が支配的立場を得たいのだと思う。一度性交したくらいでひるんだり泣き出したりする女が好きなのであればそれは少し異常だ。また夫が舵をとりそれに従う妻というモデルも嫌だ。私はむしろ女に引っぱっていってもらいたいのだ。男の領域は理性や権勢だが、女の領域は不条理や肉体的な領域になる。男は光と浮遊の世界、女は暗い血の世界。私は光よりも血に動かされたいと願う。

それでSとは交際の「契約」を交わしていない。たとえば男女の関係とはふつう「付き合ってください」と片方が「申請」し残りがそれを「受理」するという手続きをとるのが一般的である。私はこのような契約にあまり価値を見いだせない。これもまたばかばかしい根拠薄弱の習慣だと思う。……基本的に、世の中のひとびとはうすらバカではないかと思う。

双方が重要な存在だと相手を認めているなら、そういう関係を続ければよいだけのことだ。それでそういう関係が嫌になったりすれば、自然と離れればよいと思う。他の異性に興味が出れば、離れてしまえばよい。たしかに、「契約」を結べばたとえば相手がその契約を不履行した、たとえば浮気したとか、相手にしてくれないとかいったときに、相手の責任を問うことはできる。それだからどうなのか。相手の心が離れていることを責めてどうするのか。愛情はもう戻らない。ぜんたい男女間の「契約」とは何の意味があるのかわからない。結局「彼氏」「彼女」の関係に憧れており、その承認を求めているのであり、「自分には恋人がいる」というムードに憧れを抱いているにすぎない。ろくでもない男や女が「彼氏」「彼女」のキャラクターを演じる。これも近代以降の一個の流行というかイデオロギーに過ぎない。痙攣のような習慣である。

私も三十歳近くになって周りのひとはしだいに結婚していっているがこの男女の結婚は不幸だとか幸福だろうというそういう判断はある程度つくようになった。そのとき旦那の稼ぎが良いとか女が美人とかはあまり関係ないのである。ただ男女がうまく行くかは双方の智慧の程度によると思う。もちろんこれは学歴や知能指数の話ではない。道徳や哲学、信仰といった実存的あるいは霊的な智慧である(ただ女にとっての智慧とは哲学史の学習や聖典の暗記とは別個だ)。

片方が愚鈍で片方が賢明であるということはあまりないようで程度の低い人間は程度の低い人間と付き合う。それで自分の結婚生活がなんで不幸なのかわからないという顔をしている。あるいは偽の幸福を作りだし歪な笑顔を浮かべている。このようなことは知的に上位な者にははっきりとわかるのである。その関係の醜悪さはひとめで見てとれるのである。人間に必要なのはやはり知であると思う。私は愚鈍な女とはぜったいに結婚できないと感じる。


それで最近は貯金が増えてきたので投資でもしてみようかと思うことがあった。私は投資で成功する人間なのではないかと思っている。つまり私はdeserve to be richであるという気がしている。FXは9割の人間が失敗して退場するというが、1割も成功するのであれば十分だと感じる。私がdeserveであるというのはあまり金に価値を見出していないからである。必要に迫られて求めるとろくなことはないのであり童貞が女を求めるときに失敗するのはその理由によると思う。求めぬ人間がもっとも求まれるのであり富においても同様だと思う。執着が迷妄の原因であるとギーターにも書いてある。

とりあえずなくなっても旅には支障のない100万円くらいを使ってみようかと考えている。当面の目標はマイナス収支にならないことである。ただ私にとってもっとも重要な投資とは知恵を身につけることに変わりなく、金銭的成功は余事であり付随物である。だから投資関係にあまり時間を割きたくないとは思っている。読書とかSとの戯れの方がはるかに優先度は高い。

今日は少し高慢な感じで文章を書いているけど、昔はこんな感じだったと思う。鼻についた人があるかもしれないがそんなことは知らない。

0 件のコメント:

コメントを投稿