7.06.2016

萬有の眞相

「宗教以前」という本によれば家父長制が庶民に行きわたったのは近代以降、それより以前は武家・貴族など上流階級を除けば基本的に男女は宗教的・生活的に対等であった。これは民俗学などでよく言われることであり、例えば「サザエさん」における「波平」のようなモデルは近代以降の新しい流行でしかないということである。それだからサザエさんのような退屈なアニメが全国区で流され続けるのは近代イデオロギーの肯定・拡大という国体維持の目的、すなわち「教化」の意図があるのである。サザエさんとは単なる放送局の一番組ではなく、一つの国家プロジェクトなのである。

そういえば最近「サザエさん」の視聴率が落ち込んでいるというが、これは日本人の近代イデオロギー離れが進んでいるということを意味するのだと思う(スポーツ報知:「サザエさん」に異変!?視聴率1ケタ記録)。このニュースに官僚たちは庶民よりもずっと鋭敏に反応していたはずである。明治以降に確立された天皇を中心とするピラミッド型国家構造がメタレベルで否定されているということである。

私もまた現代日本にうんざりする立場であり、近代以降の自由主義、個人主義、科学主義に疑問を感じている。そのかわり江戸以前の日本には期待をもっているし、またプラトン以前のギリシャや古代エジプトのような社会に期待を持っている。まあ単純に江戸時代の美化というわけでもないのだが。

日本人が不幸な存在なのかどうか。これはあちこち旅をしてみなければわからないな。さっさと旅に出たいと思っている。ただ夏の嫌な暑さがあらゆる気力を奪っていく。Sとも毎日のように遊びじゃれあっている。私は何もしていないのだが、女とのかかわりのなかでいろんなことを学んでいるようにも思う。熱いたぎるような欲情を私はすでにしなくなっているから、Sとは少し中年夫婦じみた関係である。それは自然で持続するような類のものだと思う。燃え尽きてすぐさま炭になるようなものではない。

Sとは九月くらいで離れなければならないのだがそのあとはどうするのか。しかし五月に会社を辞めると決断してからだいぶ時期が経つ。長く働いたものだな。金は十二分に溜まっている。旅の資金としては多すぎるくらいだ。私は貯蓄にあまり価値を見出さない。金がなくても、どうとでもなると思っている。だいたい金が尽きても、生活保護というものがあるではないか。世間の人々は、なにを恐れているのだろうか……。生活保護でも車やパソコンは持てるし、本も読める。生活保護だから岩波文庫やちくま学芸は読んじゃダメ、ということはない。生ポはロックやジャズなどの洋楽は禁止でJ-POPのみ聴くことを許すとお達しがくるわけでもない。世間から脱落することをみな恐れている。その気持ちはわからないでもないが、私はもとからマージナルな人間だから、働きアリではなく働かない二割のアリであるから、まあ好き勝手できるというわけだ。それでまあSとの関係は無為ではなく有意義であるため、私もまだ会社にいようと思ったわけだ。なにせSは私が心を開いた初めての女性であるから、これを無下にする道理もないのである。それでも私には知りたいことが山ほどあるのであり、最近は哲学を越えた形而上学だの、神秘主義、あとは東洋思想を勉強したいと思っているのだけど、仕事と、Sとの遊びによって読書や勉学の時間が取れないでいる。女とのかかわりはひたすらに現生的であり大地的である。それはよいのだが、たまには重力を離れ浮遊したいと思うときがある。

五年前くらいの方が、私は自分がどのような人間になるか目途がついていたと思う。今はよくわからないでいる。


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