7.12.2016

無属性化する

今日一日はアマゾンのプライムデーに没頭するおじさんであった。このように金を遣っていいのかと思われた。またこのような世俗的なことに喜ぶ自分かと思うのであった。旅行に行こうというのに旅行へ行く前に金を遣っている。とりあえず旅に出てしまえばなんとかなるだろうというような自分ではなくなった。バイクが故障したときのためにタイラップや針金まで買っているのだがこんなことは必要がないのかもしれない。アウトドア・ブランドのジャケットだのタブレットPCなどは不要なのかもしれない。荷の少ないシンプルな方が美しいということはわかっている。しかしバイクで世界各国を横断しようとなると四の五の言ってられない事情もある。旅程はどうなるのだろうか。アメリカでバイクを買い(カナダや南米よりバイクが安いようだ)、あちこちを放浪する。アラスカを目指し"Into the wild"気取りもよいかもしれない。あるいは南進し南米の熱気に触れるのもよいだろう。アメリカでは宿代が高いので、野宿をメインとしたいと思っている。一泊3000円など払っていたら破産してしまうのではないか。野宿で恐ろしいのはひとつに水のなくなること次には人である。強盗にあってはひとたまりもないはずである。バイクのよいところは容易に人気のないところに進出できることだと思う。オフロード性能の高いバイクでは特にそうである。いちいちキャンプサイトを探す必要はない。畳二畳、平地があればそれでOKである。アメリカの治安はまずまず良いはずである。ロシアで日本人のツーリングライダーが強盗に殺されたという事件があった。これもキャンプ中に強盗にあったのだが、強盗が人間を殺すとはよほどのことである。強盗はふつう殺すことが目的ではないからである。だいたい海外旅行では、数百ドルの入った財布を忍ばせる。強盗にそれを渡せば風のように去っていくからである。ある意味で、儀礼のようなもので、強盗はそれ以上は追及しない。また旅行者もその偽財布をもってして安心できる。どんないさかいがあったかわからないが、ともあれアメリカでこういう強盗のような話は聞いたことがない。なんだかんだ言っても、世界一稼いでる国である。また、自由を標榜している国である。そうして世界一の消費大国である。こういうことを考えると、アマゾンプライムデーにあけくれるおじさんがそうであるように、アメリカ国民は強盗などしている暇はないのかもしれない。さて旅の予定だがこれは期間として一年以上はしてみたいと思っている。とりあえず資金の尽きるまでは続けたい。だいたい一般的に、世界一周では300万円がぎりぎりということである。私は金も、時間も贅沢に使いたいと思っている。とくに時間はなによりも優先したい。たとえば海外の珍しい昆虫を追いかけゆっくりとカメラに収めるような時間は欲しいのである。この旅のテーマは「晴走雨読」、雨が降ったりtroublesomeな気分であればホテルに隠遁し聖書なりギーターなり読む予定である。そのためにKindle Paperwriteを買ったがプライムデーではずっと安く売っていて失望した。まあ良いのだが。私はひとと関わることが苦手だが、旅先で知り合ったひとと話を交わしてみたいと思う。何もかも飛行機で通過したりバイクでハイウェイをかっとばすのはうんざりである。そのような旅に何の意味があるのか。またチケットをあらかじめ用意していついつに飛ぶという期限があるのもうんざりだ。私は飛行機が嫌いだ。飛ぶことは好きだがあの一度逃したら二度と乗れないような切迫感がとてもストレスだ。一度チケットを寝過ごして大枚はたいてタクシーで空港へ向かったが受付のムスリム女性に是非もなく断られたということがある。そのとき私は屈辱の思いで再度ネット予約をしたのだ。最近私は自分がADHDなのではないかと思う。時間を守ることが苦手だし、またなんで守らなければならないのかと思うときがある。それでバイク旅行などを志すのである。バイク旅行はとにかく気ままだからである。私のペースで旅ができるからである。考えてみると、生まれてこの方、私の「ペース」は乱され続けた。それは社会的要請のようなものだった。ついに私はこの要請から逃れることができるのだと思う。それは海外に放浪するという形で達成されるのである。もっとも、山暮らしなどすれば海外に出る必要がないのかもしれない。昔日本人の農民は、柳田国男によれば、厭世観きわまるときには憤怒のままに山に篭って隠遁生活をしたらしい。私にはその根性はない。明治時代ならともかく、現代は暑すぎるし、山の様相も様変わりしている。生命を与える自然林は駆逐され、あのいまいましい杉植林が山を歪なかたちに変えた。そういうわけなので私は現代の厭世家として海外を志さなければならない。べつだん海外が好きというわけではない。私は人間が好きだが外国人が好きでもなし、日本人が好きというわけでもない。どちらも同じように賢明でまた愚かだろうことは明らかである。それで日本の文化や歴史が嫌いなわけではない。「国」がどうこうという考えが私にはあまりないのである。ある国へ行けばそこに理想郷があるなど到底考えられない。人間が生きていくにはある程度の苦痛とある程度の快楽がある。それは日本だろうとバリ島だろうと変わらないだろうと思う。私の旅の目的の半分は本を読むことである。その残りの半分はバイクのツーリング、まあ言ってしませば観光である。それで私は読書にも観光にもある程度の失望を持っている。若いたぎるような情熱は私にはないということである。このことを意外に思うひとがあるかもしれない。お前はなんのために海外へ行くのか、もしお前が望まないとするならば。私もそれはどういうことかわからない。私が旅に出たところで、旅に出ずに今の仕事を続けた私と、大して変わらないという気がする。27年生きて、私はto some extent真理に到達したのではないかと思っている。それは一個の芯であって、私の意志や理性がどこを目指そうと、私がどうなろうと、それはあまり重要でないのである。私は自分が愚かであることを自然に思い、また賢明であることがあるとすれば、それも自然のように思う。私は人間というより動物に近づいた。あの義務教育の教化から離れつつあるということだ。私は自分の存在が人間一般に帰属できるように思う。天に昇る人間と地に埋没する人間がいる。私は地に沈む類の人間である。私は一個の有機物であっただけのことだ。私は神ではないが、すべてである。ゆえに神である。このような乱文を記述したのは久しぶりに酔っぱらったからである。明日はまた仕事であり暇な割に高給の仕事をせねばならない。



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