8.20.2016

神経症と「悟り」

神経症である自己の、本質的、内的な部分について、しっかり向き合ってみようという感情がわいてきた。Sと別れたことによって、私は自分のなかの歪みを見つめる機会を得た。

神経症の克服が困難なのは「治そう」と思うと治らないという逆説的な状況にある。神経症者がその苦痛に悩み、それを改善しようと思うほど改善が遠のく。であるから神経症の治療には一種の「悟り」のようなものが必要である。森田療法はこの考えを取り入れて、「あるがまま」の状態を目指す。神経症の苦しみを自分の一部として受け入れ、受容し、それを拒絶しないということ。

考えてみると私は14歳のとき神経症を発症してから十余年この症状をなにか外的な困難かのように考えてきた。それは交通事故の障害のように、不幸な偶然により自己に舞い降りた悪魔のように考えていた。私はこの悪魔を追い払えばほんとうの自己になれると信じていた。だから私は悪魔祓いの儀式をいろいろとした。まあいろんな悪魔像を想定しその弱点を見極めやっつけようとしてきたわけだ。

そうしてこの悪魔に苦しめられている自分は本当の自己ではなく、「本来の自己」は順当に友人や恋人に恵まれ、まっとうに成長していたはずであり、現在の自己は「そうあってはならなかったもの」であり、はやく正当な自分に戻らなければ、人生は台無しになってしまう、すでに十何年も「無駄に」してしまった、と思われた。この長い年月の重みが、私にはたいへん腹立たしく、苦々しく思った。私の人生はこんなものではなかった、悪魔に台無しにされてしまった、と考えていた。

いまでは上のような考えは、バカらしく思われる。だいいちにこの悪魔は自己のこころの外側にあるものではなく私のこころの病巣である。悪魔を追い出す必要はなく私に必要なのは病巣に必要な処置を施し栄養をあたえ「いたわる」ことであった。私は自分を殴ろうとしてひっくり返る酔っ払いのようだった。私は胃が痛むから胃を切り取ってしまおうと試みるバカ者だった。悪魔は私の一部であり、さらに「必要な」一部だったのだ。

それだから神経症に苦しんだ年月というのも、実の私の人生であり、それ以外はありえないのだと今では確信できる。そんな簡単なことに、何年も気づけなかったのだから、やはり私はバカなのだろう。

私に必要なのは、この十余年を慈しむこと、大事な財産にすること、攻撃し排斥していた自分の一部を今度は大事にしてあげること。「私は愚かだった、でもそれは必要だった」と思うこと。

ここ最近は神経症は軽減しており、それというのもSが私に自己肯定感を与えてくれたからだと思う。離別した今となっても、Sはやはり聖女のようであり、偉大な、「おそるべき女」であり、私にはまるで信じられない存在である。

離別の前に、Sはさんざんに私を罵倒し説教したのだが、その最後の一撃が、神経症の迷妄に悩む私を、がんじがらめになって身動きのとれない私を、なんとか救い出してくれたのではないかと今では思っている。

私は、私自身によってからめとられ、私は14歳のままで、まるで身動きがとれなかった。私の十余年は、死んだように沈黙していた。それでも、かすかに声を発していた。だれかに気づいて欲しかった。私はといえば、愚鈍なバカのようになににも気づかずに、自分を殺して生きてきた。Sはさぞ「困難な」人間だと思ったことだろうと思う。それでもSは私の内心の声に気づき、拾い上げ、腕をつっこみ、私をひっぱりだしてくれた。多少の血は出たし、傷ついた部分もあった。それでも、私の治療はSの目論見どおり、成功したのではないかと思われる。

ここまで書いてみて――神経症が治るのだろうか?
ちょっと信じられないような気分だが。もう少し様子を見てみよう。

今日は楽器をやりに出かける。あとは、図書館で本を読もう。

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