8.21.2016

神経症の治癒の記録

長かった混迷の時間はすぎて、ようやく救いに達したような気分。

これまで私は、どれだけ自分を探ることに時間を費やしただろうか?自分、自分、自分……。さて、自分をどこに置いてきたのか……。

14歳で神経症になってから、自分はどこかへ消えてしまった。私は何を望むのか?という根本的な事柄が、もはや理解できなかった。私は身動きがとれなくなった。そうだから、私の願望は世間一般の欲望に向けられた。友人の数、セックスの回数、高い学歴、高い収入。とりあえず私は自分がそれらを求めている、と思い込み、十年間それを追い求めた。しかし私は根本的に満たされることはなかったし、あいかわらず自分が何を求めているのかよくわからなかった。

大学でほんとうによかった出会いは、楽器と、読書と、書くことに出会えたことである。これらがなければ私は内的葛藤の蓄積によって破滅していたのではないかと思う。

私の自己は分裂していた。14歳のときに、私の自己は分裂した。それまでの私は自分がひとつだけであった。それだから、私は自分が何を求めているかに確信があったし、私は多少過敏で独創的なありふれた子どもでしかなかった。――私にはまだ地面があった。

それがどういうわけか、私は「自分を封印しなければならない」という衝動にとりつかれたようだ。私は14歳以前の自然で充足していた自己を、精神の奥深くに抑圧した。それで新しい自己を手に入れる必要があった。私は新しい自己を手に入れたわけだが、それが必要だったのは、当時意地の悪い女子生徒に陰口を言われていたせいかもしれないし、両親の関係が日を追うごとに悪化していたせいかもしれない。

もっとも思春期はだれしも内的な葛藤に悩むものだろう。社会的要請と自己の願望とのコンフリクト、肉体的成熟にともなう、自分の劇的な変化になんとか折り合いをつけること……。多くの人間がこれらの仕事を達成し、まともな、成熟した人間に成長する。

神経症としての私は、自己内の矛盾を克服できなかった。それだから、14歳の自己を封印し、新しい自己を作り上げることにした。しかし新しい自己はうわべだけ取り繕った出来損ないであり、仮面でしかなく、人間のもっとも根本的な内的な感情や衝動が欠如していた。私はしかしこの出来損ないこそが自己なのだと信じていた。

14歳の自己は、27歳になるいままで、ずっと生き続けていた。その自己はずっと解放を求め、人生を自分のものとして取り戻そうとしていた。私はその声を無視しつづけていた。その間の私は、自分が何をしたいのかわからないまま、浮動して生きているよくわからない人間だった。私の10年は悲しみと絶望に彩られていたが、その理由がわからないままただ困惑し傷ついていた。「なぜ私の人生はこんなにも悲惨なのか?」、私はどうしてこうなったのかわからなかったが、なぜなら私は自分がなにをしたいのか、ずっとわからないまま生きてきたからだ。

神経症は私を悩ませ続けたが根本的な問題ではなかった。しかし私はそれを重大問題だと思い続けた。私の十年間はそのことばかり考え続けていた。なぜ私はまともではないのか?私が異常なのはなぜか?私の異常性は神経症にあるのではなかった。神経症は仮面的な自己が作りだしたスケープゴートでしかなかった。

私に欠如していたのは自分の精神だった。自己の自然な願望だった。14歳のときに置いてきた生身の自己だった。

大学の時読書に目覚め、それから心理学や宗教、哲学の本を読み漁った。なかでもニーチェに心惹かれた。それというのも、ニーチェは形式主義を批判し、大地に生きる、無意識に目を向けることを主張したからだった。それは私にとっては、14歳の自己に目を向けることだった。それこそが私に必要なことだったのだ。ニーチェは「心理学者」と自称したが、なかなか食えない奴である。また禅や神秘主義にも心惹かれた。それというのも、これらは本来の自己と向き合うことを要請するからであった。

毎日楽器をやること、芸術に触れること、日記を書くことや、読書によって、20代前半になってようやく、神経症はましになっていった。思えばあの頃から少しずつ治療が始まっていたのかもしれない。私は自分の内心を音楽や日記にぶちまけていった。もっともそれはだいぶ的外れなことがあったが、しかし必要なことだった。

だんだんに14歳の自己は底からあがってきた。遠くからささやかな声が聞こえ始めた。27歳、職場にやってきた後輩のSによって、その声は認められた。当時は気づかなかったが、いま考えてみると、S以外も私の内心の声に気づいた者はたくさんいたと思う。しかしわざわざそれを救うということをしなかった。救おうという奇特な人があったかもしれないが、それはことごとく失敗していた。

Sは私の汚泥のような心に、腕をつっこんだ。27歳の4月から8月までの4か月、おおがかりな治療だった。そうして14歳の私を引っ張りだすことに成功した。この顛末は、最近書いたことである。

私はようやく、かつて置いてきた自己と対面した。仮面としての自己と、本来の生である自己はまだ打ち解けず、気まずそうだ。14歳の自己は、憤りと苛立ちを隠せないものの、ひさしぶりの空気と明るさに喜び、私を許そうとしている。いずれは和合しなければならない。時間をかければよいと私は思う。いくらでも時間はある。

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