8.24.2016

母の呪い

裁いてはいけない。あやまちはすべてが同等なのだ。ただひとつのあやまりだけしかないのだ。すなわち、光を受けて生い育つという能力を持たぬこと。この能力が失われたからこそ、あらゆるあやまちが出てくるのだ(「重力と恩寵」ヴェイユ)
 Sと別れてから、神経症が大幅に改善されており、私にとっては信じられない日々を送っている。それと同時にアルコールを断った。日常は再び光を持つようになった。実に十三年ぶりだろうか。この十三年間、呪詛をまきちらしながら生きてきたが、自然に、まっすぐに生きられるようになった。私は何だかよくわからない奇形のような存在だったが、いまは十全なひとりの人間として立つことができているという気がする。

神経症の根本的な問題は、その症状にあるのではない。症状に執着するから、治療が遠のく。神経症の根本原因は、結局は、人生に対するattitudeの問題のように思われる。 成熟と独立への拒絶。

精神分析はあまり好きではないのだけど、どうやら神経症は他の精神疾患同様、親子関係や発育環境の影響が大きいようだ。私の場合では、母親が私の成熟を拒んでいたというふうに思われてならない。母親は私が成熟することを恐れていた。母は、父を憎んでいたのかもしれない?(離婚するくらいだし) 兄たちがみな成熟し父親のようになったことが、恐ろしかったのかもしれない。永遠の子どもたれ――と母は願った。その願いは無意識的だったかもしれないし、母にとってそれは善意だったのかもしれないが、ともあれ私はそのとおりに生きることになった。

私は母親に息子の人生を台無しにした責任を問おうというわけではない。それでも、母親が子どもに与える影響というのは、信じられないものだ!母親なんて、もう何年も会っていないのに、その母親が私をコントロールし続けていた。それはまるで強力な呪いのようだった。私は縛られつづけた。やるせない悲劇だ。地獄の沙汰も親次第、ということか。

岸田秀というフロイト派の学者がいてかれも神経症だったのだがその原因は母親であるとわかったとき症状が霧散したという。長いが岸田が治療に至るまでを転記する。
精神分析の本を読み、その理論を学んでも、それを自分の問題とは表面的にしか結びつけなかった。親子関係の問題は親子関係の問題として悩み、それとは別のところで、強迫症状に苦しんでいた。両者の関連に気がつかなかった。
強迫症状は、長い年月のあいだにいろいろなものが現われたけれども、最後には「本を読んではいけない」という強迫的禁止一本にしぼられていた。そのたびになぜこの本を読んではいけないかのもっともらしい理由がくっついているのであった。
しかし、ある日ふと、この強迫的禁止はわたしが自分と無縁な世界の人間となるのを望まなかった母の声がわたしの心に内在化されたものではないかと気づいたとたん、あれほど頑強だった強迫症状がまるで嘘のように消えてしまった。これは、いったん気づいてみれば、なぜこれまでこんなことに気づかなかったのかが不思議なほど簡単なことであった。(「唯幻論物語」岸田秀)
私の場合は「本を読んではいけない」という強迫ではなかった、どちらかというと「人と打ち解けてはいけない」という性質のものだったけれども、自然な生長や成熟を拒むという点では同様だ。

岸田のこの本を何年か前に読んだけど、まさか自分の神経症の原因が「母親」と私も思わなかったのであり、自分の母との関係がいたって健全であるというふうに今になるまで思っていた。「フロイト派の人はなんでも親子関係に結びつけるなあ」と漠然と思うだけだった。

母は私に献身的であったし、一般に「毒親」と言われる人とはほど遠かった。優しく、弱く、料理の上手だった母。しかしそのように理想化されていたからこそ、私は母親の呪縛から逃れることができなかったのだろう。私は母がただひとりの悪人であると思われない。成熟を拒む性質は私自身の問題でもあるし、母が私に呪いをかけたのも、ただ母にとっての絶望的な環境がそうさせたに過ぎない。岸田は神経症の原因が母であることを突きとめると、怒りに燃え母を叩き殺してやろうと考えたらしい。私がもっと若ければそう思うのかもしれないが、もうそんな風には思えない。

それだけにやるせない気分になる。私はようやく、神経症から立ち直ることができたというわけであり、それは幸福であるけれども、迷い苦しみながら過ごした十数年の重みというのは、大きいものがある。私はこの事実を背負って生きて行かなければならないと考える。







1 件のコメント:

  1.  対人関係に不安を抱える人の多くが幼少期の両親との愛情形成に問題を抱えているそうです。また、アダルトチルドレンなど、青年期から社会に入るまでの家族関係にも何か問題があれば、それは根深く個人のパーソナリティー形成に影響をもたらしてしまいます。
     つまり、発達障害やコミュニケーション障害、自閉傾向といった個人の気質に寄与する問題と、家族関係における愛着問題は、複雑に絡み合いますが、結果的には、他者への無関心や自己批判に向かい、自分を孤立無援の状態に追いやってしまうのかもしれません。
     それが、良いか悪いかは、自分が納得できる場所にいるのかいないのかによって変わるのではないでしょうか?

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