8.31.2016

神智学に触れる

進め。汝は鍵を持っているのだから安全である。(「沈黙の声」ブラヴァツキー)
Sと私の間にあったこと、私自身の変化、神経症から抜けだせたことを、いろいろ整理しなければならないと思い、学習していた。

もともと神経症の克服記のようなものを書こうとして、何日か書いていたけど、その本態は依然わからず、つきつめてゆくと「執着」「迷妄」といった抽象的なフレーズに帰結し、方向性がつかめなくなった。一般的な「こうして治った」「治ってよかった」というような闘病記でもないし、病理学的にアカデミックに神経症を解明していくような感じでもないし、どちらかといえば宗教的な、哲学的な観点から神経症という病わずらいを記述することになってきて、しだいにこんなものをだれが読むんだ?という疑念が頭をよぎり、あわよくば闘病記を電子書籍として売り出し、こづかいを稼ぐという計画は頓挫することになった。

それでもう神経症という観点から自分におきた出来事を考察することをやめて、個人的な知の探求として、全人的な現象として捉えようと思い、いまふたたび宗教だの、神智学に傾倒している。

読んでいるのは王道といえば王道の「沈黙の声」という本、ブラヴァツキーの著書である。

まあ良い本に出会えたなという気分、たまたまブラヴァツキーに行き当たったのだけど、適切な時期に、適切な本に出会えることには、ほんとうに驚くばかり。
苦しむ者の目から落ちる涙の一滴を、激しく照りつける太陽が乾かす前に、汝はその涙をぬぐえ。人の流す熱い涙を汝の心に滴らせよ。その人の苦痛の源が取り除かれるまで、汝の心からその涙をぬぐうな。ああ恵み深い心の持ち主よ、その涙こそ不滅の慈愛の田畑を潤す川の水である。仏の花はそのような土地にこそ育つ。夜の暗闇に咲く仏の花は、ヴォーゲーの木の花よりもさらに見つけづらい。それは輪廻から解脱する自由の種である。それにより、アルハットは敵意と情欲から離れ、沈黙と無の世界だけに知られている平穏と至福に至る。
私の涙はSによって拭われたのだけれども、今度は私がだれかの涙を拭わなければならないと考える。私は、ひとのためになにかをするという観点が抜けていた。
俗衆を見下して人里離れた暗い森で座禅を組んだり、木の根や草の葉を食べたり、ヒマラヤの雪で渇きをいやしたりすることで、究極の解脱という大いなる目的を達成できると信じてはならない。
弟子よ、これこそ隠れた道である。完成した諸仏はこの道をとり、弱い者たちの「小我」のために大我を犠牲にした。 
隠れた道……。人類の進歩に貢献しましょう、「救済者たれ」ということが、隠れた道だというのだから、なんだか逆説的だ。秘教に対するよくある偏見……「こそこそ隠れて、悪いことをしているに違いない」。

神智学、おもしろい世界だな。もう少し踏み込んでみよう。

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