8.06.2016

職場のジコアイさん

株の練習として月曜からヴァーチャルの運用をしているのだが300万円ほど投資して現在6万円負けている。4銘柄買ってみたがそのすべてで損をしている。投資金額の2%を即座に失ったというわけであり、私のセンスのなさが露呈しているのである。

やっと今週の仕事を終えたのである、今の部署の仕事はとても苦痛なのだが原因がわかればそれほどでもないことを知った。その原因とは「自己愛性人格障害」というタイプの人間の存在であり、その本人は若い女だが、この女によって職場の雰囲気が異常に暗くピリピリとしているのだと知った。

まあ詳しくその人格をここで語ろうとは思わないが、ある個人と一緒にいて、「気分が良いか/落ち着くか」ということを吟味再検討してみることは非常に重要だと思われる。というのもなんらかの「コミュニケーション・スキル」により人格障害者にうまく利用されるということがあるからである。

コミュニケーション・スキルなどというものは肯定的に捉えられているが実際にはこんなものは不要であり、善的な人間は善的人間とわかりあえるようになっているのであり、ただ悪人が善人を利用するときのために、コミュニケーション・スキルは存在するのである。
まことに、運命のさだめは、悪しき者が悪しき者と真の友となることも、さらに、善き人が善き人と友にならずにいることも、けっして許さない(「パイドロス」)
だから技巧的なまやかしによって、悪の所在がごまかされるということがあるけれども、そういうときには「感覚」を頼りにすべきなのである。先に述べたようにある人間と一緒にいて「快」かどうかなのである。それは嗅覚や皮膚感覚に近い。

理性的に「このひとは魅力的だ」「このひとは優れた人格を持っている」などと考えることがあっても、一緒にあって妙に落ち着かない、かみ合わない、そわそわする、と言ったことがあるならば、ほんとうにその人間の人格が評価に値するのか、いちど吟味してみなければならない。

われわれは例えば哺乳類の動物といっしょにいると心が落ち着くのであるけれども、牙を持った爬虫類と一緒にあっては落ち着かない。よくサイコパスのような善性の欠如した人格を「蛇」に例えることがあるし、聖書においても悪魔=ルシファーは蛇なのだけれども、人間と言うのは、哺乳類的な血の通ったものと、他者を利用し血をすすろうとする冷血なものとでわかれるからおもしろい。

もっともその職場の若い女は、サイコパスというほどひどい人格ではない。自己愛性人格障害とはナルシズムが強いということではない。反対に自分を愛することができないがためにそのことに向けて奔走するという人格である。絶えず自己不全感に悩まされ自己肯定感を求めるがゆえに他者を利用し他者を傷つけるマア困ったちゃんである。サイコパスは遺伝的、機能形態的な異常であるがこういう人間は過去のトラウマなり親の愛情の欠落なりあったのだと思う。人格障害はエピソードが見てとれるから、精神分析などが適応だと思う。

とまれそのような人格であることをいったん認識してしまえばこういう人間に振り回されることはなくなるのである。もう愚かな子どものような扱いにして、自分は象のようにゆうゆうとしていればいい。

愛情の欠乏に悩み自分は存在してよいのかという時期は私にもあった。それはけっこう最近まで続いていたと思う。ただ徐々に心が開かれていった、哲学の助けもあったし女の助けもあったと思う。このブログも森田療法における「日記療法」になったのだろう。それで私はもう世界と和解したのであり、ある種の安寧に近づけたわけだ。

自己愛性の女性も昔の私に近いといえば近いのだけど、だからといって精神治療を受けさせればよいという問題ではないし、彼女がいつか世界を受け入れることができればよいとは思いつつも、悟りに近い内的反省が必要であり、そのためには孤独に自分と向き合う必要があるのだけれども、そういったことから逃げて、刹那的な自己肯定感を追い求めている以上は、少なく見積もって治療には数年間はかかるし、下手すれば一生変わらないのだろうし、私もそんな人間にふりまわされる余裕はないというわけだ。

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