8.19.2016

Sとの別れ

そういうわけなので、Sとはほとんど完全に離別ということになった。Sと別れて、10分程度してから今これを書いている。まあもともと恋人ではないのだが、私が心を許し、人間を信頼したほとんど初めての人間と言うことができると思う。

離別の苦しみ、仏教でいうところの愛別離苦は、おそらく黒い波となって私を襲うのだろうと思う。その予感はいまからしている。愛別離苦にあって、ひとは平静にいられるものではない。それでもこれを乗りこえなければならない。私はバガヴァッド・ギーターが好きだ。「失敗も成功も、同一のものと見よ」。どちらに転んでも、神は私の胸の内にある。喜びに震えるときも、悲しみに凍えるときも同様である。

孤独と自由と、冷たい皮膚感覚と、鋭敏さが私には戻ってくるのだから(それは保証されている)、まあ良いといえばよいのだが、私が真に問いたいのは、私はこのような人生を望んでいるのかということだ。また人類は、このように生きるべきなのだろうか。知恵の実を食べたことからアダムとイブは楽園を追放された。

孤独と血の痛みが知性を育む。そうだから人は禁欲なり苦行なりをせんと試みる。そのようにして智慧は得られるのだろうか。そのように得られた智慧は良いものなのか。ドンファンと聖者は同一か。互いに愚者という意味において? 私にもうすこし知恵があれば、Sと別れることはなかっただろうと思う。

実際のところ、原因は私にあったのだ。それは神経症ということが原因でもなく、私がブサイクでハゲとかでなく、私が単に愚かだったのだ。それだから、Sのような特異な人間を、伴侶とすることができなかった。

私は喜びに溺れすぎた。愛する人間ができたという歓びに、知性の光をにぶらせ、それで良しとしてしまった。それでSは私の愚かなところに、愛想が尽きたのではないかと思う。私はSのことを信用している。Sが間違うことはない。間違えているとすれば、私の方だろう。

歓びに動じず、また悲しみに動じず。前者は失敗したのだから、後者は耐え忍んでみよう。

愛する人間との関係が断絶するということには、肯定的な意味もあるはずである。私にはいま、深い悲しみしかないけど。なんとか光を探すような状態?

旅に出るには、良い時期になった。異国の、乾燥したよい空気を味わいたいという気持ち。折よく、会社には新入社員がちらほら入ってきたから、そろそろ辞められるのかもしれない。

なんだこのおっさんは、誰とも長続きしないな、とこのブログを読んでいる人は思うだろうが、それは正解だ。私は人として未熟なのだろう。



3 件のコメント:

  1. あなたも決して間違えてなんかいない。いまは辛く苦しいかもしれないが意味あってのこと。本来、物事は全て良い方向に行くものだ。「なるようになる」は完了形ではなく進行形だから。
    相変わらず生き方が美しくて感心する。あなたは自信を持って、ただ前を向いていればいいと思う。

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    1. 私は病み、間違えていました。それだけは認めないと、と思います。人は不自由で病むこともありますが、私はそのことから逃げていました。私の罪です。

      最近はコメントを返すようにしました。自閉的な傾向をなんとかしようと思っています。

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  2. 返信ありがとうございます。やはり、嬉しいものです。
    反省は大事なことだけど・・・あなたのこれまでの生き方は、ちっとも間違ってなんかいない。何故なら、過去の何処かの部分が抜けていたら、今のあなたは形成されていないから。全て、あなたを作り上げるのに必要な要素だったと思います。
    あなたが何か大きいことを成さなくても、あなたにはすごい可能性を感じます。これからも楽しみにブログ読ませていただきますね。

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