8.19.2016

There will never be another you

今日でSは職場からいなくなり、退職ということになる。すぐにSはこの地を発つので、もうしばらく会うことはないだろう。喪失感というものは確かにあるのだが、今日いなくなることはわかっていたのだし、受け止めるべきなのだろう。

Sとは5月ごろから恋仲のような関係だったけど、もうそれも終わりということだ。私はだんだんに襲われる痛みの予兆を感じてはいるのだけど、それがどれだけのものかはまだわからない。指を切ったそのときは痛みがない。しかしその痛みは、ずっと続くのである。

おそらく神経症の私には、持続した恋人というものはあらわれないのではないかと思われる。このような事情と予感が、私のスキゾで回避的な人格を形成したのだとは思うが、このような人格にどうやって折り合いをつけるべきか。私は自己を改善すべく、現在の自己を吟味批判し、努力すべきなのだろうか。私はもう自分をこのようなものだとあきらめをつけて、孤独に生きていくのか。

Sは私の人格をかなりの部分で改善することに成功したように思われる。それはけっこう大がかりな治療だった。水商売をしていたときのSに、何百万円も費やす客がいたというが、その気持ちもわかるという気がする。おそらくそういった治療は、Sのような特殊な人間にしかできないからだ。一種の神がかりと言ってもいいかもしれない。功利的にいえば、私は実にリーズナブルにSの治療を受けられたということもできる。

私のすべきことを冷静に見つめてみると、やはりもうすこし真剣味をもって学究として取り組んでいく必要があると思った。宗教、哲学、医学、歴史、科学全般……。あとは音楽もまた熱意をもってやろうと思う。孤独はそのための好機である。孤独からたまには抜けださないと、孤独の味もわからなくなるものだ。

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