9.21.2016

愛することのできないおじさん

羞恥、羞恥、羞恥……。

自分への嫌悪が溜まっていく。私はつまるところ、最良の人間でさえ、愛することができなかったのだ。はじめ自分のことを愛してくれた人間に対して、それを便利な道具のように、都合よく利用し、いったん自分の言うことを聞かなくなると、すぐさま不機嫌になり、怒りだし、使い物にならなくなった道具を投げ捨てるような態度を、示した。

それだから初めに大変な絶望と失望を味わったのはSだと思うし、私が孤独でみじめに暮らすとしても、食事がとれずに痩せほそっていくにしても、毎晩眠れぬ夜を過ごすとしても、客観的には、まったく当然の報いのように思われる。私には、悲しむ資格すらなく、涙を流す資格もなく、私には自分を罰すること、灰にすること、そうして自分を再生させること、こうすることしか、Sへの贖罪にはならない。

私がどれだけ、Sの愛情をないがしろにしてきたか、考えるに寒気がする!私はなんて、厚顔無恥な、愚かな、屈折した、未熟な、下等の、醜悪な男だったか、考えるに、自分に刃を突きさしてやりたい気持ちになる。私はどうして、ひとを愛することができなかったのだろう!あれほど愛情をもって接してくれたひとに、私はどうしてあんなむごい仕打ちをしたんだろう!まったく、理解ができない。

私は、ひとを愛することができない。これが私の人格の根本問題のように思われる。どうしてこうなったのか。どうして、私はこんな人間なのか。私を救おうと手をさしのべたひとに対して、噛みついて、むさぼり喰らおうとするのか。自分の醜さに、吐き気がする。「かわいそうに、愛することを知らないのだ、あの人は」

愛情を、どのように獲得していくのだろうか。私のような愛のない家庭で育った人間にとって?


Aimee Mannの"Save me"の歌詞を思い出す。
"But can you save me/Come on and save me/If you could save me/From the ranks of the freaks/Who suspect they could never love anyone"(どうか私を救ってください。だれも愛せないのではないかと疑う奇妙な集団のなかから)


2 件のコメント:

  1.  月並みですが、ありのままの自分を認め、愛することなしには、相手を受けとめ愛することができません。愛するというのは、色々な見解がありますが、私は一種の精神的な亢進状態を越えた後は、運命共同体としての関係を築けるか築けないかにかかってくると思います。
     黒崎さんは、ご自身でもわかっているように、与えられるばかりの自分に人を愛する資格はないと考えていらっしゃるので、その点では、よく愛について理解されていると思います。ただし、自己受容なしには、相手を愛することができないため、より自らの精神的な傾向について理解し、上手くコントロールしていくことが必要なのではないでしょうか?

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  2. 女心や恋愛に関しては、沖川東横というおじさんのブログ「恋愛日記」がオススメです。参考までに。

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