9.29.2016

性欲とおじさん

精神的に「健康」になって、物欲や食欲を取り戻すと、それとおなじように性欲も高まってきて、これをどうしたものかと悩んでいる。昨日などは、ほとんど暴走しそうなエネルギーをもてあまして、深夜の繁華街(田舎なので大したことはないが)まで行き、えんえん歩くということで発散させた。

もうずっと禁欲生活をしているのだが、たとえば肉を食べた翌日とか、精神的・肉体的なストレスが溜まっているときに、途方もない性欲に襲われることがある。

こういうときは、きまって同時に喫煙欲求や、飲酒欲求にも襲われる。ようは、子どもがえりというか、甘えられるもの、自分を充足させるものに対する欲求が、全体的に高まっている状態と言えるだろう。喫煙はよく乳首を吸うことの代償的行為だといわれるが、そのとおりだと思う。喫煙が乳首を吸うことであれば、酒を飲むことは乳汁を飲むことである。そうした授乳に対する衝動と、女と交接したいという欲求は、同根と言ってもいいと思う。

それはたんにマザー・コンプレックス的な要求というよりも、もっと抽象的には、自己と他者との溶融を望む、絶望的な試みだと言ってもいい。原初、ひとはだれしも母胎と一体だった。産み落とされてもしばらくは、母親が世界そのものであり、そこには他者も、自己自身でさえも、存在しなかった。飲酒や喫煙、あるいはセックスへの「依存」というのは、たんに自己と母親の溶融願望を意味するのではなく、「自己存在以前への回帰」を要求していると考えてよいのかもしれない。自己存在というか、もっと適切には、自他分離以前というべきか?

メタファーとしては、天地が分かれる前というか、言語のような抽象概念以前というか、そういう未分化の状態への回帰を望む心情が、アルコール依存や、セックス依存の根本的な精神状態なのかもしれない。まあ女性のセックス依存となると話は違うだろうが……。

少なからぬ精神異常者が、女陰から膣を通り、子宮に還りたいと望んでいるらしい。たしか、「唯幻論」の岸田秀はそのような願望を持っていたと書いていたと思う。私は直接にそのような衝動にかられたことはないが、たぶんひとはだれでも子宮回帰を望む心理を持っているのだと思う。母親との分離がうまくいかなかった神経症患者などは、とくにその傾向が強いということだろう。

性欲は、生きることと切り離せない。生きている人間で、性欲を持たない人間は、ありえない(一般論的に)。では性欲をどう満たしていくのか?世間一般では、適度な自慰で発散させよ、とある。現代では、ときに小中学校でさえも、自慰は悪いことではないと教えられる。これが性犯罪の予防を狙った大衆向けの公益的な教えであることは違いない。ある程度知性のある人は、そのような習慣が悪影響を及ぼすことを知っていると思う。精は漏らすべきではないし、自慰行為は不浄であり、あたり前だが、褒められたことではない。

それでは、セックスによって性欲を解消することが、ただしい答えなのだろうか。当然ながら性欲とは異性に向かう衝動であり、一見それがゴールのように思われる。性欲が子孫繁栄、自己の繁殖率を他者よりも高める目的をもっているならば、多くの女性とセックスすることが終着点のように思われる。実際、男性の権力欲や金銭欲は、ほとんど「多くの女性との交合」ということで説明できる。

ただ私の最近の考えでは、性欲はそれ単体で欲望そのものから切り離せるものではないように思う。先に述べたように、性欲が昂ぶるときには、飲酒や喫煙の要求も伴うのであり、ひとつ根底に内的衝動のようなものがあると思われる。性欲によって女を獲得したとしても、あまり満たされない気持ちがするのはそのせいである。性欲イコール性交への願望とは私にはどうも考えられない。その説明として、さきほど自他分離以前への回帰願望といった言葉を持ち出した。回帰願望は、絶望的な試みであり、欲望の間違った方向であり、ここに陥ると、性欲が単なる交接への願望、幼稚で低次元の要求へと変貌してしまうらしい。ちょっとややこしくなって、わかりづらい説明になった。

性欲とは、生の衝動そのものであり、食欲とか、他の欲求と切り離せるものではない。故にその衝動を、交接で満たすことはできない。自慰はより一層間違っている。私はニーチェの言う「力への意志」が、それぞれの欲求を総合する言葉として正しいのではないかと思う。これはフロイトの快楽原則と逆である。よく広まっているマズローの稚拙な欲求段階説にも反する。心理学者としてのニーチェの後継は、アドラーということになるが……。

今日は知人の女性と会ってくる。ちょっとしたことで知り合った、二十歳そこそこの女。

4 件のコメント:

  1. 飲酒、喫煙、性欲を人為的秩序に対するアンチテーゼ、すなわち〈自然〉と捉えたらどうでしょう。
    秩序のなかに渾沌を陥入する、という感覚です。そうすることによって、人為的秩序を賦活させ、活性化する意味合いがあると考えられませんでしょうか。ある種の〈精力剤〉です。

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  2.  私は性欲と死への恐怖≒孤独に対するストレスのバランスは人間の「生」にとって必要不可欠です。
     エロスとタナトスと言うと、黒崎さんはフロイト臭がして嫌かもしれませんが、もし、死ぬことが本当に快楽的な感情を呼び起こす行為であったなら、あるいは、孤独であることに少しの不安感もないのならば、あるいは性欲が無いならば、人間は自ら進んで消滅すると思うのです。
     健全な性欲の発現は人の成熟にとって重要ですが、一方で自慰行為は、社会的な問題や治安、妊娠、病気、貞操観念などと深く関わっており、ある意味これもタナトスへの恐れがなせるものだと言えるのではないでしょうか?

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  3. 桃子氏「性欲が高まるのは、いつ? 突発的で切羽詰まった欲望を感じるときの法則」
    ttp://mess-y.com/archives/35572
    >純粋に肉体的欲求が高まる“性欲”と、
    >相手とのスキンシップや愛情表現を求めて「したい」と思う“性交欲”は
    >分けて考えたほうが私にはわかりやすく、
    >そうするとセックスするのはたいてい性交欲が発動しているときで、
    >性欲はむしろオナニーで解消していました。

    こういう把握の仕方もあるようです。
    おじさんは、人肌恋しいと素直に言えないからなんか理屈付けちゃうんだけど、
    単に、大型哺乳類は秋にサカりが付くってだけかもしれません。
    あ、もちろん私もおじさんです。

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  4. 調べたら10月が男性の性欲がもっとも高まる季節みたいですね。

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