9.07.2016

性の問題

禁欲生活を続けているのであり、禁煙、禁酒、肉食の禁止、俗な世界に触れること(TVや匿名掲示板)の禁止、これらは苦もなく実行できている。あとは、背筋を伸ばして生活するとか、部屋を綺麗にするとか、まあ人間として向上するよう、いろいろ試している。

ただ重大な問題が「性」でありこの男のサガとどう向き合っていくかが難しい。禁欲してみようと思いたったが正直なところ五日経ったぐらいで崩壊した。あまり悔しいのでパソコンにあるポルノをあらかた削除した。実にすっきりした。

仏陀などはもうセックスやオナニーは最低な行為だから禁止!と言い切っている。とにかくそれに近づくな、芽をつめ、悪魔を殺せ、と教えている。ただ密教などでは「究極の快楽が悟りをもたらす」と教えられている。親鸞も妻帯していたことは有名である。

密教は少しクレイジーで糞尿や精液を食す修行もあるという。過激で邪教的とも思われるが私は真理探求の道としてそれほど間違っていないと思う。マクベスにあるように「きれいはきたない」のであり、聖女と娼婦は同等であり、いたずらに禁欲に走ることが果たして正しいのか?と信仰のある過程で疑問を抱くことは必要だと思う。ちなみに初期の密教はセックスを可とするも射精は禁止とありいちがいに放埒というわけではない。

しかし悟りに快楽を利用する密教は仏教の大筋とは齟齬があるわけでこの葛藤にずいぶん悩んだらしい。そりゃ神聖で幸福な人間になるためにうんこを食べなければならないのだから厳しい修行だ。先にあるように仏陀も禁欲しろと厳しくいっているし、どう折り合いをつけるのか。

一説には密教の「性」の教義は、ヒンドゥー教の優勢に危機感を抱いたチベット仏僧たちがあれこれ思案したあげく「こういうアピールポイントでいこう」と性の快楽を押し出した、これで信者が増えていった、まあ布教戦略、マーケティングのようなものとする説があるようである。

それでやはり仏教の大筋としてはあらゆる他の宗教と同じく禁欲を説いている。人間が高まるためには禁欲はほとんど確実に必要なものと思われる。「オナ禁」の効果はネットでだいぶ広まっているけど、フロイトもいっているとおり性のエネルギーを何らかの形で昇華することが必要のようである。私も禁欲5日くらいから、肌つやがよくなり、東京を歩き回ってもほとんど疲れない体力増進に驚いたものだった。

なにが正しくなにが間違っているのかということは通俗のものと少数のためのものは異なる。たとえば当たり前のように世間で行われている「肉食」や「飲酒」という行為が、どういうことなのか、あらためて吟味する人間は少数なのである。肉食はほとんど確実に身体に良いことはなく、倫理的にも容認しがたい。攻撃性や支配欲を高め、粗暴な人間をつくりあげる。

またテレビなどはある程度冷静な人間が見れば「人間の欲情をかき立てる装置」にしか見えない。世俗の人間をグルメやセックスに縛り付けるものでありだいぶディストピア的というかグロテスクである。まあ番組によるが……。

ひとにとって何が健全であり何が当たり前であり何が幸福に導いてくれるのか、を考えている。それを知るには難しい時代になったと思う。すくなくともポケモンGOやXVIDEOで幸せになることはないだろう。そんなぬるま湯に浸るくらいであれば糞便を食した方がましである。

原始仏教においても何が幸福をもたらすのかは宗派による。他者に奉仕することが良いとするものがあれば、究極の叡智を得、解脱し仏になることが良いとする宗派もあるのであり、さまざまだ。

まあ上のような「幸福とはなんぞや」ということを知るために旅に出るのが良いと思っている。おそらく都市部にはそういった幸福はないから、のんびり外国の地方をまわりたいと思っている。旅に出る決心をしてから半年くらい経ってしまい、今年中に出発は難しいと思われるが、来年には実現したいと思っている。

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