9.24.2016

他力本願のおじさん

今日のおじさん――
 5時頃目覚める。ここのところ、毎晩Sの夢を見ている。私は車を運転していて、Sは横に座っている。Sは、都会で出会った好きでもない男と、寝てしまった、というような話をしていた。「ぜんぜんかっこよくないの」とSは笑ったので、私も笑った。Sの両親に会って、お前は不適格だというようなことを言われた。それで目が覚めた。
 5時に起きてもすることはないので、職場の同僚にプレゼントしようとおもい、下読み用に買った、童話のような本を、ぼんやりと読んでいた。外は激しく雨が降っていた。読み終わると、二度寝した。
 土曜日でも仕事だったので、出勤した。Sともっとも仲の良かった同僚と一緒に、仕事をした。その同僚は中年女性だが、たいへん気立ての良い女性だった。私に二言三言、冗談を言った。私はたいした言葉を返せなかった。仕事は暇ではなかったが、捗らなかった。私は少し風邪気味だったし、身体のふしぶしが痛んだ。自分だけなぜこんなにうまく行かないのだろう、とふと考え、自分が哀れに思えてきて、涙が出てきた。だがこらえた。
 仕事が半分くらい終わると、その童話のような本をプレゼントした女性がやってきて、私の仕事を手伝ってくれた。勤務時間ではないから、無給でやってくれたのだ。それで、私にうなぎの弁当を与えてくれた。私が、日ごろろくに食べていないというので、くれたのである。そうして同僚の中年女性にも、あげていた。中年女性は、露骨に泣いていた。なぜ泣いたのかは、よくわからない。私も泣き出しそうになったが、やはりこらえた。ふたりとも、私が元気がないということを言った。私は、Sに対する感情をぜんぶ吐き出したい気持ちにかられた。だが、その衝動を殺した。
 昼になり、仕事が終わると、車を海の見える駐車場に停めた。そしてうなぎの弁当を食べた。食べ終わると、シートをさげて二時間ほど寝た。目覚めると、コンビニでコーヒーを買った。駐車場にもどり、車のなかで読書した。雨はあいかわらず振っている。飽きたので、図書館にいき、これを書く。



自分の人格をどうにかしようと考えたが、これはもうどうにもならないのだ、と諦めることにした。これは、私自身によっては改善不可能だ。

私の人格は、たぶん母親とか、父親によって歪められたのである。その人格を、私個人が内側から直そうと思ったって、どうしようもない。私には私が見えないからだ。それでも私はある程度、人格陶冶によって克服しようと試みた。禁欲禁酒禁煙、あとは仏典や心理学の勉強などで、多少は改善できている。しかし私はつぎのことを悟った。他人が歪めたものは、他人によって正されなければならない。

いまの私は、上のように救いの手が差し伸べられても、警戒して、打ち解けられない野良猫のような態度をとっている。その態度が不自然で、がんじがらめになった人格のあらわれであることを、私は自覚している。自覚しているが、私自身にはどうしようもないのだ。私は自分の内的意志がどうだろうと、「そうせざるをえない」。

私は行為から疎外されている。行為する自己と、本心の自己が切り離されている……私は不自由だ。不幸だ。こうなった原因が両親なのかわからないが、ともあれ私はがんじがらめになっている。私にできることは、助けてくれ、と、心の奥底から叫びを発すること。私は、不自然に歪められてしまった。私はそのことを知っている。私を見つけて、救い出してほしい。私を直してほしい。

助けてくれ

と訴えること。もう自分でどうにかできるような問題ではないのだ、とあきらめをつけた。

1 件のコメント:

  1. 警戒心の強い野良猫(あなた)でも、他に歩み寄ろうとしている。その「歩み寄り」の精神が、すごく大切なことだと思います。
    それがSさんとの出逢いによって芽生えたものだとしたら、大いに活かさないと!

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