10.13.2016

「私はそれに値しない」

昨日は午後から休みだったのだが、特になにもしなかった。

なにをしてよいかわからず、少し疲労と眠気があったので、スーパーに行ってチョコレートを買い込み、それをひたすら食べて、あとは寝た。

Sが私の元にきて、去っていってから、私の生活はだいぶ変わったと思う。まあ人間が変わるということがあるのだと思う。

神経症が改善した、対人恐怖が改善した、酒をやめた、煙草をやめた、自慰をやめた、週に一回はシャンプーするようになった、香水を買った、コンタクトレンズを買った、高級カメラを買った……。



これまでの私はこの逆であり酒と淫欲に溺れていたし精神的にもだいぶ屈折していた。

それにシャンプーは身体に悪いと思い(いまでも悪いと思うが)ほとんど湯シャンしかしていなかった。ただ頭から異臭を放つ男などだれも好かないだろうと思い少し高めのシャンプーを買って、それで整えることにした。香水も同様である。

カメラはふたつ買ったが合わせて二〇万円以上した。さすがに良い代物だった。

「私はそれに値しない」という考えが、私をいろいろなものから遠ざけていた。上等な衣服とか、高級品は、私にはそぐわない。……私は身綺麗にしてはならない。装飾してはならない。なにかしたいことがあっても、その道具は与えられてはならない。私の趣味は、金を費やす価値がない。

「私はそれに値しない」という考えが、私の人生から彩りを損なっていたな、と思う。私はその女性に値しない。私は彼の友人のひとりとして値しない。私はその作品の賞賛を受けるに値しない。私は人に好かれる価値はない。私の存在は、他者に受け入れられない。その考え方が凝固して、対人恐怖症を生んだ。

「私はそれに値しない」という教条に、私の人生は支配されていた。いろんな侮辱や罵倒や叱責や暴力に、屈服した。そうでなければどうやって生きていけただろう。あいつはバカだ、キチガイだ、と言われればそのとおりだ、と頷いた。不当な扱いを受けても、嫌な顔ひとつしなかった。肉体と精神の痛みは怒りとなって、心の内にたまっていった。その結果が、自殺願望となって、絶望の底に私を引きずり込んだ。

お前は愛を受けるに値しない。お前は無価値だ。

うーん、おそろしいドグマ……。悪そのもの、生命の破壊、ほんとうの意味での殺人。人のこころを真空にしてしまう。いったいこんなひどい犯罪が、この世にあるだろうか。しかしそれは当たり前のように、いまもひとびとの間に広まっているのである。悪い親、悪い教師、悪い社会によって……。「お前はそれに値しない」と、洗脳のように、再三に繰りかえされる。この世における、もっとも悪い犯罪。

Sが私に教えてくれたことは、「お前には価値があり、それに値する」ということである。不思議なことに、Sが私に見切りをつけ、去っていったあとでも、その持続する効果を保っている(一時期はとても苦しんだが)。

たまに、素顔はとても美人なのに、髪の手入れや身繕いをきちんとしないから、魅力をほとんど損なっている人がいる。こういうひとは、きっと、子どもの頃に「お前はブスだ」「お前に価値はない」と言われ続けて生きてきたのだろう。こうした人は、自分の人生を生きずに、罵倒してきた人々に、人生を奪われている。こういう例は、ほんとうにたくさんある。だれもかれも、自分の人生を生きているわけではない。

サイコパスは、他人を道具化する。他人の道具化、これこそが悪である。強い立場にある人間が、弱い人間に、「お前は愛するに値しない」と言うことがある。自己が十分確立していない人間は、それを信じ込み、「どうすれば愛されるのか」と悩み苦しむ。悪人は、そこにつけこむ。すると、精神の奴隷ができあがる。このように、搾取、掠奪が行われる……。金品や労働力ではなく、人生の搾取である。いろんな社会、学校のグループだとか、会社組織だったり、親子関係において……このような不健全な人間関係は構築されている。弱者は使い捨てにされボロボロにされる。

この世に悪は広まっていて、ますます栄えているようである。それでは悪はどのように是正されなければならないのか。

1 件のコメント:

  1. 「自分の人生を生きる」って、単純なようでなかなか難しい。これができれば言い訳もなくなるのだろう。私もこの先、自分の人生を意識的に生きていきたいと思う。

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